「最後」の意味(秋季エベレスト西稜出発まであと10日) | 栗城史多オフィシャルブログ Powered by Ameba

「最後」の意味(秋季エベレスト西稜出発まであと10日)

 秋季エベレスト西稜出発まで残り10日。
10日といっても自分の中では区切りはなく、もう2009年からずっと日本に帰国しても永遠登り続けているような日々です。

 遠征中は、動画やブログの更新をしますが、普段は全く更新をしません。無理に作り笑いをするのは止めようと思い、パソコンに向かうのは企画書作りやメールの対応のみで、ブログで自分の気持ちを書くというところまでいけませんでした。さらに最近は日常だけではなく、遠征中の文章の量も昔に比べると減って行く一方でした。それは何なのか。自分ではわかっていました。

 それはこの「見えない地上の山」の高さと、それを登り奔走する日々で書ける気力が失われ、更に深刻な状況になっていたからです。

 もうすぐ遠征を迎えますが、今年のエベレストは最後になるかもしれないと思っています。だからこそ、本当の「栗城史多」を知ってもらい、少しでも僕の冒険をきちんと理解してくれる人がいたらいいなと思い、普段は絶対に出さない冒険の裏側。その冒険の裏側を出発までに何回かさらけ出して出発を迎えたいと思います。


 「鬱ですね」シシャパンマ南西壁の出発直前に医者から言われた言葉だった。南西壁に出発する一ヶ月前から夜は眠れなく、体調が良くない状態が続いた。ほぼ不眠症のように何度も夜中に起きたり、気がつくと起きたまま朝を迎えていることが毎日のようにあった。医者に見てもらうとこの言葉が返ってきた。「鬱ですね」この言葉を言われたのは、昨年のエベレスト前にも別の医者から同じことを言われ2度目だった。「鬱」と言われようと何だろうと別に気にはしない。元気が無い人はみんな鬱と言われているだけじゃないかと思っていた。でも、確かに2010年の秋頃から、僕は今までの自分とは違う違和感を感じていた。そして、その先にあるもっと大きな危険を感じはじめたのは最近だった。


 地上の山は遥かに大きい。エベレストの生中継資金を集めるために企業を疾走し、全国を講演で回るようになってから休みは一切無く、休日に山に行けるような日々はほとんどなかった。じゃあ休みを取って山に行けばいいじゃなかと思うかもしれないが、エベレスト生中継を実現させるには理想だけではすまされない。その目標金額を逆算し計画を立てると、とても休んでいられる状況ではなかった。そして、外野からヤジを飛ばすかのように匿名のネット上での誹謗中傷など(それについては次回書きます)など、、、。夢を実現するというのは、甘えが一切許されない。全てを捧げ、全てを受け入れられてこそ、やり遂げられるものだと思ている。そして、全てを捧げてやってきた。だが、そんな日々が続くようになると夜に人から電話が掛かって来ても不安を感じて出なくなり、一日ある休日も外に出ようとする気すらすでに無くなっていた。そんな中で出発を向かえる遠征が、実はこの
3年間続いた。

 そして、2012年6月6日の深夜。ついにその先にある大きな危険と出くわすことになった。南西壁登攀中の6500
m地点で滑落し、そのままクレバスに落ちて重傷を負った。奇跡的に生還できたが、あの滑落は偶然ではなく、長年溜まっていたものが静かに突然訪れた滑落だった。

 シシャパンマ遠征直前、僕の疲れたピークに達していた。動画を見ていたスタッフからも「なんか疲れてますね」と言われ、分かる人はすでに普通の状況ではないことをわかっていた。そして
ABCを出発してから間もなく、ガレ場(石が沢山あるところ)で足を捻り、重たいザックが更に足を捻らせた。右膝内側に筋が延びるように鋭い痛みを感じ、「まずい」と声を上げた。小さな怪我が8000m峰では大きな事故に繋がる可能性を知っていた。そして、ガレ場で足を捻ったのは初めての経験だった。

 その後、右膝を被うように登り続けた結果、僕は真夜中に氷壁から滑り落ち、暗くて寒いクレバスの中に落ちて行った。

 あの滑落は偶然ではなかった。全て2010年の秋季エベレストから繋がっており、自分の心が呼び寄せた滑落だった。

 僕は自分の心と身体の限界を無視し、赤信号でも早く渡れば大丈夫というように、自分自身の危険さ感じられなくなっていたことに気がついた。

 あの滑落から帰国後、重い荷物を背負った僕の身体と心は少し軽くなっていた。それは心にも身体にも限界があるということ知ったからだ。限界は「自分が作った幻想」である。それを山で学び、走り続けてきたこの数年間。確かに、夢や情熱、行動に限界を作っているのは自分自身ということを山から学んだ。だが、もう一つ。心と身体には限界があるというとも山から学んだ。

 僕はそれを知らないでヒマラヤに向かい続けていたら近く死を迎えていたに違いない。その領域スレスレを登っていたのだ。だが、僕は生きて帰ることができた。奇跡が起こるのはそう多くない。「これが最後の挑戦になるかもしれない」前にブログにそう書いたのはあの滑落が、あの南西壁が自分を振り返らせてくれたからだ。

 それでも、僕はチャレンジを諦めない。少しは休むかもしれないが、エベレストが終わりではなく、本当の始まりだと思っている。出発まで残り10日。地上の山も結局は目標とする頂(予算)まで到達することはできなかった。あとは、知恵と帰国後の努力でやっていこう。そして、今、秋の厳しい気象条件のエベレストの西稜をベースキャンプから一人で、酸素ボンベを使用しないで、そして、世界と繋がるという人類史上トップクラスの冒険が待っている。

 昔、山の先輩から言われたこと言葉がある「楽しくなくなった下山しろ」。
今までの僕は出発直前に疲れ果て、楽しめなかった山も正直あった。でも、今年のエベレストは違う。もうあの時の自分には戻る気はない。そして、エベレストを世界で一番楽しんだ男になりたい。


次回に続く。