こんばんにちは。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

暦だけでなく肌感覚でもすっかり秋になりましたね。

秋は「飽き満ちて結実する」季節です。

 

春はハル(張る・晴る・墾る:ゆるみ溶け出し行き渡る)

夏はネツ(熱・暑・生る:熱を帯びて循環し開放する)

秋はアキ(飽き・紅:飽き満ちて結実する)

冬はフユ(振ゆ・震ゆ・冷る:つつむ篭る蓄える)

 

皆さんはどの季節が好きですか?

 

さてさて、今回ご紹介する本は 飽き満ちる秋にぴったりの一冊。

現代「只管打坐」講義』藤田 一照(佼成出版社)

 

座禅やマインドフルネスに関心がある方におすすめです。
 

著者プロフィール

藤田 一照(ふじた いっしょう)
1954年(昭和29年)生まれ。僧侶。翻訳家。

東京大学大院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。

33歳で渡米。17年半にわたってアメリカ・マサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導する。

2005年に帰国。三浦半島にある葉山で毎月坐禅会を開いている。

 

只菅打坐(しかんたざ)とは

「只管打坐(しかんたざ)」とは「悟るためにではなく、ただ坐禅する」という意味で、

道元禅師(1200-1253年)が提唱する坐禅観を象徴する言葉です。

悟るとは… 迷い・煩悩(ぼんのう)を去って生死を超えた永遠の真理を会得する。

座禅とは… 姿勢を正して坐った状態精神統一を行う、の基本的な修行法。

とは… 仏教用語で「禅宗」の略称。

禅宗とは… 南インド出身で中国に渡った達磨僧(達磨大師)を祖とし、坐禅を基本的な修行法とする。

 

つまり本書は「ただ座禅する」ための解説本です。

この「只管打坐」という概念が、

どのような実践・行動によって実現することができるかについて詳しく解説します。

この本が「ただ座禅する」ことを630ページに渡って解説していることからも、

座禅が奥深いものであることが分かります。

一人で全部読むとなると気が遠くなりそうです。ダッシュ

何を隠そう私自身は座禅にも仏教にも疎い人間で、タイトルだけでハテナがたくさん飛び交いました。

 

ところが!こんな私でもこの本の悩ましい苦読を経た3日目の夕方に、

蛍の光が一瞬ふわっと灯るくらい微細なアハ体験をしたのです気づき

私にとってはまさに「俺のターニングポイント」でした。

 

目次

はしがき

第一章 何が坐禅を「難しいもの」にするのか?

第二章 坐禅における呼吸と意識

第三章 「正しくないことをやめれば、正しいことは自然に起こる」

第四章 坐禅を邪魔する心の働き

第五章 「呼吸を手放す」ということ

第六章 涅槃の姿としての八正道

第七章 「坐禅すれば自然に好くなるなり」

第八章 「坐禅」を unlearn する〈坐禅〉

第九章 「心が汗をかかない」ように坐るのが坐禅

第十章 いま、改めて坐禅を普勧する

 

涅槃(ねはん)とは… 煩悩の火が消え、人間が持っている本能から解放され、心の安らぎを得た状態のこと。

八正道(はっしょうどう)とは… 仏教を一貫する8つの実践。

普勧(ふかん)とは… 普(あまね)く勧(すす)めること。*普く:もれなくすべてに及んでいるさまのこと。

 

 

星空体験と、座禅との出会い

第十章では著者の幼い頃に起きた重要なエピソードが語られています。

ある夜、わたしは一人で自転車に乗ってどこかへ向かっていた。

ふと夜空を見上げるとそこにはいつものように星々がまたたいていた。

いつもならそれだけですんだのだが、その時には、いつもとは違う何かが起きたのだった。

とてつもなく大きな疑問がどこからか落ちてきて、それが自分を強烈に打ちのめしたような感じというしかないショックを受けて思わずよろめき、あわてて自転車をとめて足をついたことを覚えている。

無限のサイズの大宇宙の中に、砂粒よりも小さな自分がいて、こうして星を見ている。

そもそも、これはいったい全体どういうことなんだ!?

なぜこの世界や私が在るのか。

当時10歳の一照少年に湧き上がってきたこの素朴な問い。

これは世界中の哲学者が立てた問いと同様のものでした。

哲学者のライプニッツは「なぜモノがあるのか、むしろ無(なんにもない)ではないのはなぜか」

ベルグソンは「"何かが存在する"ということはどこから来たのか」と問うている。

たった10歳の子供が大人顔負けの哲学的な問いに正面からぶち当たってしまったのだから、きっと相当な衝撃だったのだと思います雷

一照少年はこの奇妙な体験を誰かに話すことはなかったでそうです。

わたしは、この奇妙な体験を誰にも話すことなく(それを伝えることができるような表現力を持っていなかったこともあって)自分の胸に密かにおさめておいた。

やがて20代後半になり、

そして、ついにこの問いに応えてくれるかもしれない「座禅」に出会いました。

通いの座禅会ではなく円覚寺居士林に一週間こもって行われる冬の摂心においてだった。

この時、もしかしたら、座禅は、そしてその背後にある禅は、自分のあの「星空体験」に応えてくれるかもしれないということが直感的に監督できたのである。

摂心(せっしん)とは… 禅宗で、一定期間ひたすら座禅に専念すること。

 

その後、一照さんは大学院を中退し禅道場に入山、29歳で得度。
33歳で渡米。17年半にわたってアメリカ・マサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導します。

指導のために現地で英語の仏教書を物色していたところ「マインドフルネス」に出会います。

 

マインドフルネスと座禅

マインドフルネスとは… 今という瞬間に目覚めている力のこと。

わたしが初めて「マインドフルネス」という言葉を知ったのは、1987年の夏に、アメリカ東海岸マサチューセッツ州の西のはずれにある林の中の小さな座禅堂に住持として赴任して間も無くのころだった。

眼についた本の一冊がThich Nhat Hanhというその時はまだそれをどう発音すればいいのかもわからない、未知の著者の本だった。

タイトルはThe Miracle of Mindfulness。

このThich Nhat Hanh(ティク・ナット・ハン)の数ある著作物やアメリカでの出会い、のちにStarbucksやSalesforceなどの大企業への座禅指導経験を経て帰国。そして本書ではひとつの結論を示しています。

結論を言えば、わたしは座禅はマインドフルネスの実践そのものだと思っている。

この結論はシンプルで明解に思えるのですが、もう少し読み進めると沼にはまります。

 

「マインドフルネス」には「本来のマインドフルネス」と「現今のマインドフルネス」があり、

「座禅」は「悟るためにではなく、ただ坐禅する」のである。

 

そして、これらのヒントとなるのが「存在論的差異」という哲学的視点だそうです。

 

存在論的差異

十章で「存在論的差異」について著者と共に語るのは日本の哲学者である古東哲明先生です。

 

古東 哲明(ことう てつあき)… 日本の哲学者、広島大学大学院総合科学研究科名誉教授・客員教授。NHK文化センター講師。専門は、哲学、現代哲学、比較思想史。

 

古東先生の考察について、一照さんは以下のようにまとめています。

われわれの普段の生活様式は、基本的に所有モードに基づくもので・・・・モノに気をとられ、モノに没頭し、翻弄され、捕囚(ほしゅう)されている。

こうした存在の真理がまったく忘却されて存在者へすっかり捕囚されてしまっている状態こそ、仏教が「無明」と呼び、キリスト教が「原罪」と呼んでいるものではなかろうか。

 

存在論的差異とは… 哲学用語。「モノゴト(存在者)」と「モノゴトが在ること(存在)」との決定的な相違のこと。

存在とは… モノゴトが在ること。存在モード(⇆所有モード)。現前のしようがない。根拠・目的・理由・起源がない。

存在者とは… モノゴト。所有モード(⇄存在モード)。物体・画像・意味概念として把握できる。科学の対象。

無明(むみょう)とは… 仏教用語。俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知のこと。

原罪(げんざい)とは… キリスト教の教理の一つ。 生まれながらに受け継がれる人間の罪のこと。

 

「存在」は把握しきれない、触れられないものであり、真理であるもの。

「存在者」は所有できる物体であるが「存在者」だけでは「存在」し得ないもの。

 

この難解な哲学用語について本書ではリンゴの例を出して説明されています。

 

例1)リンゴ

リンゴの存在はリンゴという物体とは決定的に次元が違っている。

この例えは何を言っているのかもやもや

皆さんの中には理解できる方もいるかもしれませんが、私にはちんぷんかんぷんですもやもや

 

もうひとつの例え、一照さんの坐禅合宿で教えていただいた肝臓の例えはもう少し分かりやすかったです。

 

例2)肝臓:肝臓(存在者)だけでは肝臓は機能しない。

これは「部分」と「全体」というイメージなのかなと思いました。

童話「金の卵を産むニワトリ」のようなことなのかな。鳥

 

…少しだけ分かった気がするので調子にのって、例2を参考に例3を自分で考えてみました。

 

例3)星空:星空(存在者)だけでは星は存在し得ない。

地球が月や太陽など他の天体と関係し合って存在するのと同じように、

視覚できる範囲の星空という「存在者」だけでは星空は存在し得ないんじゃないかなと思います。

以前別の方から聞いた話では私たちが見上げる星空は宇宙の3%だと聞いたことがあります。

こうした宇宙の真理がまったく忘却されて星空へすっかり捕囚されてしまっている状態を「無明」ということができるのかもしれません。(できないのかもしれません。蛇足でしたヘビすみません)

 

この「存在的差異」の理解がなぜ大切かというと

存在論的差異を忘れ、無視したところから起きてくる思考の混乱状態から覚めて、この生が存在するという「生の事実性」にはじめてありありと出くわす、そして改めて驚くこと。

こうしたことへの深い問題意識や理解なしに、ただ単にストレスを減らすメソッドとして「意図的に、今ここで起きている体験に、価値判断をさしはさまずに気づく」というマインドフルネスを訓練しても、それは本来のマインドフルネスを凡庸化・陳腐化するだけではないのか

思考の混乱状態とは… 「存在」と「存在者」の差異に気づいていない状態。目覚めていない状態。痛みへの抵抗。

 

つまり「存在」を認識した上でのマインドフルネスでなければ、本来の修行とはならないということでしょうか。

 

そして座禅はこの「存在論的差異」を軽やかに乗り越えるという著者の心強い言葉も綴られています。キラキラ

このような無明状態から脱し、存在論的差異という決定的な差異を静かに軽やかに乗り越えて・・・・というところに、坐禅の意味が見出されるのではないだろうか。

 

初心者のための座禅

ここまで難しいことを考えたり脱線してしまったりしたのですが、

結局のところ、いうは易し行うは難し。

 

とにかく始めたい!という方向けに、第二章では数息観の方法を案内しています。

 

数息観(すそくかん)とは…座禅の姿勢で座りながら、自分の息を数えること。

 

「ひとーつ」「ふたーつ」「みいっーつ」と心の中で唱えていき、「とーお」まで数えたら、また「ひとーつ」「ふたーつ」「みいっーつ」とこれをずっと繰り返すのだ。

「なんだ、息を一から十まで数えるだけなんて、そんなこと簡単じゃないか」と思ったのだが、いざやってみるとこれがなんとも難しいのである。

からだがしたいように息ができるようにして、数えることではなく息の方に注意を注ぐのだ。そうすると、数の方が息に寄り添うような感じになり、数えることがずいぶん楽になっていった。

この簡単な方法にも注意点があります。

ただでさえ意識を向けると知らず知らずのうちにその対象をコントロールしたくなる傾向をわれわれは持っている。

ここでは「ただ数えている」ということが大切で、数えることに息を合わせていないかを確認します。

 

感想

「苦読」とはまさにこの類の本に当てはまると言葉だなと思いました。

 

とても読みにくい本でした。

正直のところ、この本はしばらく読みたくないなと思ってしまうほど疲れました。

それでも、苦読を経て私は結果的に毎朝座る時間をとるようになりました。

 

難解な本書にも希望を感じるのは一照さんの「座禅はそれをいとも軽やかに静かに乗り越える」という一節です。

とにもかくにもやってみようとさせる力がある本です。

長い道のりかもしれませんが丁寧に読み解いていくと何か閃くことがあるかもしれません。私も引き続き読んでいこうと思っています。

もし座禅やマインドフルネスにご興味のある方がいらっしゃったら、ぜひともご一読ください。

 

その他におすすめしてもらった書籍リストはこちら。

ブッダが教える愉快な生き方』藤田一照(NHK出版)

形而上学入門』マルティン・ハイデッガー(平凡社)

 

最後まで拙いブログを読んでくださって、ありがとうございましたスター

 

おまけ

・悟る… 迷い・煩悩(ぼんのう)を去って生死を超えた永遠の真理を会得する。

・座禅… 姿勢を正して坐った状態精神統一を行う、の基本的な修行法。

・禅… 仏教用語で「禅宗」の略称。

・禅宗… 南インド出身で中国に渡った達磨僧(達磨大師)を祖とし、坐禅を基本的な修行法とする。

・涅槃(ねはん)… 煩悩の火が消え、人間が持っている本能から解放され、心の安らぎを得た状態のこと。

・八正道(はっしょうどう)… 仏教を一貫する8つの実践。

・普勧(ふかん)… 普(あまね)く勧(すす)めること。*普く:もれなくすべてに及んでいるさまのこと。

・摂心(せっしん)… 禅宗で、一定期間ひたすら座禅に専念すること。

・マインドフルネス… 今という瞬間に目覚めている力のこと。

・存在論的差異… 哲学用語。「モノゴト(存在者)」と「モノゴトが在ること(存在)」との決定的な相違のこと。

・存在… モノゴトが在ること。存在モード(⇆所有モード)。現前のしようがない。根拠・目的・理由・起源がない。

・存在者… モノゴト。所有モード(⇄存在モード)。物体・画像・意味概念として把握できる。科学の対象。

・無明(むみょう)… 仏教用語。俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知のこと。

・原罪(げんざい)… キリスト教の教理の一つ。 生まれながらに受け継がれる人間の罪のこと。

・思考の混乱状態… 「存在」と「存在者」の差異に気づいていない状態。目覚めていない状態。痛みへの抵抗。

・数息観(すそくかん)…座禅の姿勢で座りながら、自分の息を数えること。

 

おしまいスター