こんにちは、こんばんは。

 

今日はいい天気です。

新緑の季節。最高ですね。

 

午前中は整体院に行って、整体の先生と禅問答の面白さについて盛り上がってきました。

 

禅問答(ぜんもんどう)とは

仏教用語。禅宗の僧が悟りを開くためにおこなう問いと答えのやり取り。

これが転じて、噛み合わない言葉のやり取りという意味で使われることもある。

 

禅問答の何が面白いか、という話はまた違う機会にするとして、

最近読んだ本をご紹介したいと思います。

最後に少しだけ禅問答が出てきます。

 

今回ご紹介する本は

精神と自然 -生きた世界の認識論-』グレゴリー・ベイトソン(新思索社)

 

友人におすすめされて読んでみたところ、

とても興味深い内容でした。

 

著者プロフィール

 

グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)

イギリス出身のアメリカ人。

人類学者、社会科学者、言語学者、映像人類学者、サイバネティシストなど多方面で活躍した。

 

訳者あとがき

 

この本は一度読んだだけでは、何の本なのか理解できませんでした。

 

ところが巻末にある「訳者あとがき」を読んでみると

「ベイトソンがどんな人で、本書で何を伝えたかったのか」というイメージをぼんやり掴むことができた、気がします。

 

この本のユニークなところは、智の民主化を説くところだ。

「誰もが学校で習うこと」という皮肉な題のもとに並べられるのは基本的な「真理のカケラ」である。

「ベイトソンする」とは

「いま見つめていることを、そのまわりのことと一緒に考えること」

 

ベイトソンは要素還元に対して懐疑的で、

彼の主張では「事物はもっと相互関係しながら動いている」というものだ

と解説しているYouTube動画もありました。

 

 

■要素還元とは

物事を構成する要素に分解し理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ

と想定する考え方のこと。

 

つまり、ベイトソンは「そんな簡単に分解して理解なんてできないよ」

と言っているんじゃなかろうかと思います。

 

誰もが学校で習うこと

我々の生きる社会について考える際の基本となる

  1. 科学は何も証明しない

  2. 地図は土地そのものではなく、ものの名前は名付けられたものではない

  3. 客観的経験は存在しない

  4. イメージは無意識に形成される

  5. 近くされた世界が部分と全体に別れるのは便利で必然。その別れ方の決定に必然は働いていない

  6. 発散する連続は予測できない

  7. 収束する連続は予測できる

  8. “無から有は生じない”(リア王)

  9. 数と量は別物である

  10. 量はパターンを決定しない

  11. 生物界に単調な価値は存在しない

  12. 小さいこともいいことだ

  13. 論理に因果は語りきれない

  14. 因果関係は逆向きには働かない

  15. 言語は通常、相互反応の片面だけを強調する

  16. “安定している”“変化している”という語は、我々が記述しているものの部分を記述している。

 

トーテミズム

 

本書に出てくる具体例を理解するには、まだまだ読み方が浅いようです。

ただ単に面白いなと思った本文を以下の通り引用します。

多くの民族は、自分たち人間だけで構成しているシステムと、動物も植物も人間も全て包み込むより大きな生態学的・生物学的なシステムとをつき合わせて得られた情報に頼る。

社会システムと自然界とをこのようなアナロジーで捉えること、これが文化人類学でトーテミズムと読んでいる宗教に他ならない。

 

アブダクション

 

物象科学ですら、アブダクションを基盤に成立している。ニュートンによる太陽系の分析や元素の周期表といった歴史的諸例から明らかだろう。

逆に言えば、アブダクションを行うことのできぬ世界では、思考は全く停止してしまう以外にない。

■アブダクションとは

仮説形成のこと。

個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出する論理的推論。

相互に支え合う前提の織りなす果てしなく複雑なネットワークの中に捕らえられて生きること、これはすべての人間に共通の宿命だろう。逆に言えば、変化が起こるためには、この前提網の内部に、様々な弛緩(しかん)と矛盾ができることが、どうしても必要だということである。

自然界にも、そしてそれを映しているわれわれの思考過程にも、いついかなるときも自身の内的一貫性を崩さない一つのアブダクティブ・システムと見ることができる。

上記の部分は本書において唯一共感できる記述でした。

ベイトソンは「生物界にあって、変化が生じるためには、二重の条件が満たされなくてはならない」としています。

 

二重の条件とは

  1. 生物体の内部からくる一貫性の要請(保守的)

  2. 外部環境の要請

生存のためには、あまり大きな飛躍は禁じられる。逆に、変わりゆく環境の方は、時として生物がその保守性を放棄して変化することを強いる。

 

それで?

 

最終章(7章)は「それで?」と題して、父と娘の本書に関する会話が繰り広げられます。
 

お願い、パパ、やめて、そういうの。問いが完成しそうになると、他の問題に飛んでしまうんだもの。

e・e・カミングスは何と言ったかな?「最高に美しい答えは、最高の難問を尋ねたもののところへ」ということを言っていなかったかな?私はね、その度に別の問題を出しているんじゃない。一つの疑問を拡大しているだけさ。

 

この親子のやりとりはまるで禅問答を聞いているようです。

私がふと思っただけなので、本文では禅問答に関する記述はありませんが、

正法眼蔵にある「あなたの名前は何ですか?」「私の名前は何です」のような父娘の会話が繰り広げられます。

 

いや、こんなパパだと娘は大変だな、と思っちゃいますが、

娘さんも文化人類学者として生きている方のようです。

 

感想

 

、、、面白い本でした。

理解とは程遠く、ただ表面をちょろっと舐めた程度の楽しみ方でしたが、

いつかティースプーン一杯くらいは味見してみたいものです。

 

誰かこの本を解説してくれる動画を作ってくれませんか。

中田のあっちゃん、奇跡的にこのブログを読んでくれていたら、どうかお願いします。

 

訳者さんのおすすめとして、次に手に取る本は『天使のおそれ』『バリ島人の性格』とのことです。

懲りずにこちらも近々読んでみたいと思ってます。

 

長文にお付き合いいただき、

最後まで読んでくれてありがとうございました。

 

では、また。

皆さんもよい一日を。