我が家の家宝とも言えるこの、
鍾馗様の掛け軸は、
高曾祖父が、祖父が産まれたとき、
初めての男児の孫を喜んで描いたものです
「愛孫、嵓(いわお≒おじいちゃんの名前)の初節句に」
と賛が添えられています。
今回のテーマにした端午の節句は、そのような
男の子の健やかな成長を祝い、願う節句であります。
そして鍾馗(しょうき)様は、古くから疫病退散、鬼をやっつけるほど強い、魔除け、厄除けの神様です👹
節句人形のひとつとして、兜と同様に飾られるものですが、関東ではあまり見ないかもしれませんね。
京都など関西では古い家屋の屋根や、玄関などにシーサーのようにおかれ、守り神として身近な神様だそうです。
この掛け軸は私にとってはただの画ではなく、
もはや霊的な存在です
祖父は、この画を描かれた高曽祖父のことをよく話してくれました。
武家の出であったため、武士としての誇り高く、切腹の練習をさせられていたこと、
弱い者いじめや卑怯なことを恥とし、厳しく躾られ、そして同時に、ものすごく可愛いがられたと。
一緒の布団で寝ていたと、
目を細めて語ってくれたのを覚えていたので…
祖父が病院で息をひきとり、
自宅に運ばれる前に、
私は先に行って、
床の間の掛け軸をこの鍾馗様に、掛け替えていました。
なので、お通夜のとき、祖父の遺体はこの鍾馗様に見守られて仰臥して居ました。
胸には切腹用の短刀をおいて。
その荘厳な景色を忘れることはありません。
祖父は町医者だったのですが、白衣を着て死にたいと常々言っていて、本当にその通りに、最後の患者さんを見て、カルテも書き終えたあと、診察室で、倒れました。
そして救急車で運ばれ、数日後に亡くなりました。
亡くなる前日に、私が見舞ったとき、何故かそのときだけ意識がはっきりとしていて、はっきりと会話をして、私にとっては宝物のような言葉をくれました…
お通夜、お葬式で、どれだけの人が祖父の死を悼み、どれだけ救われたか、感謝と心からの涙を流していたか、
祖父の死に様は、そのまま生き様であり、
とにかく全てが美しくて…
ずっと鳥肌が立っていたことを、鮮明に憶えています
そして、
そのとき祖父の死で埋め尽くされていた私に、
同時に、息子が授かっていたのでした。
告別式を終えて、ほっとして妊娠に気付いたときの
あの、生と死が入れ混じって私の中に起きている不可思議な感覚もまた、
忘れ難く…
言葉では言い表わせません。
それらを象徴して、
おじいちゃんにそっくりの顔をしている
この鍾馗様、なのでした