深沙大将の章 | Just One of Those Things

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深沙大将(じんじゃたいしょう)は、天部に属します。



深沙大将は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)を救った護法善神です。



別名を「深沙神(じんじゃしん)」・「深沙神王」ともいいます。


この尊の古代インドにおける信仰は明確ではありませんが、その姿はまさに悪鬼羅刹(らせつ)の類であって、仏教に取り入れられたのちも、姿はそのままに護法の善神になったものと思われています。


ちなみに、『別尊雑記』が引用する「深沙大将菩薩儀軌要」では、これを「央崛摩羅(おうくつまら)」(サンスクリットで「アングリマーラ」)とよんでおり。あるいはこれが古代インドにおける梵名になるのかもしれません。



深沙大将のわが国・日本への伝来は、平安時代初期に中国・唐への留学から帰った密教僧・常暁(じょうぎょう)によってなされました。


彼の帰国に際して持ち帰った品々を国に報告した『常暁和尚請来(しょうらい)目録』によれば、唐の玄奘三蔵が天竺(インド)に聖教類を求めに赴く(おもむく)途中、流沙(砂漠)において遭遇し、玄奘三蔵を苦難から救った護法神であると記しており、そこに「深沙神」の名前の由来が求められるでしょう。



その姿は『深沙神王記』にもとづき、左手に蛇を巻き付け、髑髏(どくろ)の瓔珞(ようらく)を首に掛け、腰には獣皮のみを着ける筋骨隆々とした鬼神の姿に表されて、腹部には童子の顔が表れ、膝頭に象頭をかたどった袴(はかま)を着けるのが一般的であります。


わが国に現存するもののなかでは、快慶(かいけい)作の京都・金剛院像がもっとも有名です。



なお、このほか「深沙大将菩薩儀軌要」にもとづくとされる、合掌して白飯を盛った鉢を捧げる姿のものもあります。