日本の薬師如来の姿は、大きく分けて2つあります。
1つは飛鳥時代から奈良時代にかけて多く見られるもので、如来通有の姿で右手を「施無畏印(せむいいん)」、左手は「与願印(よがんいん)」の印相を結ぶものです。
もう1つは、右手が「施無畏印」で左手は掌を上向けて薬壺をのせるというもので、平安時代以降はこちらが一般的となりました。
眷属には、脇侍(きょうじ)として、日光菩薩・月光菩薩が従うのが通例で、十二神将をともなった作例も知られます。
また、『薬師瑠璃光七仏本願功徳経』などには。「善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうみょらい)」・「薬師瑠璃光如来」など7体の薬師如来を説き、息災・増益を祈願する修法の本尊とされたりしました。これを一般に七仏薬師といいます。
飛鳥・奈良時代の作例は、病気平癒を願って造像されたものが多いことも特徴です。
そして、奈良時代に諸国に国分寺が建立されたとき、その本尊とされたのが薬師如来であったことも注目されますが、創建当初の本尊が残されているところはありません。
平安時代には、左手に薬壺を持つ薬師如来が一般的となりました。
また最澄が開いた比叡山寺(延暦寺)では、本尊として薬師如来立像を安置したことから、これに基づいて天台寺院では薬師如来がつくられ、現存作例もいくつか知られています。