高千穂神社 | Just One of Those Things

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天孫降臨を伝える高千穂の神々と神話のふるさとと知られている高千穂神社は、記・紀にない天孫降臨の地として知られています。


高千穂神社といえば、高千穂にある高千穂神社と、霧島神宮近くにある高千穂峰の山頂にある高千穂神社がありますが、ここで取り上げているのは高千穂にある高千穂神社の話です。(参照:『高千穂神社 - Wikipedia 』)


ちなみに、鹿児島神宮には高千穂神社の遺跡があります。つまり、高千穂に移されたという話です。



  住所 : 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037

  創建 : 垂仁天皇の御代

  旧社格 : 郷社

  祭神 : 三毛入野(みけいりね)命・他九社

  神徳 : 家内安全



日向国の高千穂は天孫降臨の地として知られます。


九州山地のほぼ中央に位置する高千穂は、もとは阿蘇も含んでいましたが、古代、国郡制が敷かれたとき、肥後に属する部分が阿蘇郡に編入されて、近隣十八村から成る高千穂郷となりました。


高千穂神社は、その高千穂郷のほぼド真中に鎮座し、高千穂郷八十八社の総鎮守として崇敬されています。


その創建は古く、垂仁天皇の御代といわれてます。



天孫降臨後、この高千穂郷には「日子穂々出見(ひこほほでみ)命」・その御子の「神倭伊波礼毘古(かむやまといわれひこ)命」(神武天皇)と「五瀬(いつせ)命」(神武の長兄)の皇居・高千穂宮がありました。


しかし、『古事記』『日本書紀』のどこを見ても、高千穂の神なるものが鎮座しているとは記されていないのです。



その文献上の初見は『続日本後紀』において承和十年(843年)の条(くだり)に「日向国无位高智保皇神(ひむかのくにみいたかちほすめがみ)」とあるのが最初といいます。


ついで、清和天皇の天安二年(858年)十月二十二日に「日向国従五位上高智保皇神に従四位を授く」(『三代実録)と出てきます。


つまり、平安時代になって、高千穂に神威ある皇神が鎮座していることが知られるようになります。




ちなみに、私が仏縁でお世話になったのは、高千穂峰の神社のほうです・・・(。-人-。)