阿蘇神社 | Just One of Those Things

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Let's call the whole thing off

天皇家に匹敵する系統を誇る大宮司家に祭られた火の国の大社と知られるのが阿蘇神社です。


  住所 : 熊本県阿蘇郡一の宮町

  創建 : 孝霊天皇の御代

  旧社格 : 官幣大社

  祭神 : 健磐龍命・阿蘇都媛命・他十座

  神徳 : 交通安全・学業成就・縁結び・厄除


天皇になれなかった阿蘇の神としても知られます。



もと官幣大社で、健磐龍命(たけいわたつのみこと)を主祭神とする阿蘇神社は、全部で十二宮(十二神)からなっています。


また、『延喜式』は「神名帳」においては「肥後国四座(大一座、小三座)」の「阿蘇郡三座(大一座・小二座)」を見ると、健磐龍命神社(名神大)・阿蘇比咩(あそひめ)神社・國造(くにのみやつこ)神社の三社が出てきます。これらを通称「阿蘇三神」あるいは「阿蘇三社」といい、阿蘇神社の一宮・二宮・摂社となっています。


このうち、健磐龍命とその妃・阿蘇都媛命を祀る神社が狭義の阿蘇神社ですが、阿蘇神社の他の十宮の祭神もすべてこの二柱の近親の神々です。


主祭神の健磐龍命は神八井耳命の御子で、父の神八井耳命は「神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)」(神武天皇)の第二皇子です。すなわち、神八井耳命は二代目の、健磐龍命も三代目の天皇になれたかもしれなかったところ、これを継がせず、天武天皇の第三皇子が皇位についてしまったという話です。


そのあたりの事情について『古事記』(中つ巻)の神武天皇の章には次のようなことが書かれています。



つまり、第二代天皇はだれがなる?・・というお話です。


神武天皇には皇后・「伊須気余理比賣(いすけよりひめ)」(大物主神が丹塗矢に化して生ませた御子)との間にもうけた「日子八井(ひこやい)命」・「神八井耳命」・「神沼河耳(かむぬなかわみみ)命」の三柱の御子がありました。


天皇が崩御すると。三兄弟の庶兄にあたる「當藝志美美(たぎしみみ)命」(母は「阿比良比賣(あひらひめ)」)は「伊須気余理比賣」と結婚して三兄弟を殺そうとしました。そこで母の「伊須気余理比賣」はそのことを歌にして息子たちに知らせました。


そのとき、末弟の「神沼河耳命」は次兄の「神八井耳命」に武器を取って「當藝志美美」を殺すように勤めましたが、「神八井耳命」は手足が震えて殺すことができず、弟の「神沼河耳命」が兄の武器を取って殺しました。そのため、その武勇を称えて、またの名を「健磐龍命」ということになりました。


そして、本来、天皇になるはずの「神八井耳命」は「私は仇を殺すことができなかった。しかし、あなたは殺してしまわれた。だから私は兄であっても、上にいることはできない。あなたが天皇になって天下を治めてください。私はあなたの臣下となって、忌人(いわいびと)となって仕えましょう。」といって「神沼河耳命」に国を譲りました。



この「神八井耳命」は、『古事記』では、「意冨臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都げの直、伊予国造、科野国造、道奥の石城国造、常直の仲国造、長狭国造、伊勢の船木直、尾張の丹波臣、島田臣」等の祖先になっています。


その中の「火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連」が九州関係ですが、もちろん阿蘇神社はこの阿蘇君によって祭祀されてきたのです。



ちなみに、『古事記』の撰者の太安萬侶は同属の意冨臣の出身です。


『古事記』における「神八井耳命」は非常に人間的に描かれていますが、その御子である「健磐龍命」は、『阿蘇家伝』などによれば、山を蹴落としたりするなど、所謂ダイダラボウシ的巨人の姿を持ち、「神八井耳命」に比べるとよほど神に近い表され方で登場します。実は、タケイワタツの神名からもわかるように、「健磐龍命」は「健々しく磐が立つ」状態を神格化したものらしいと考えられています。



その当時、殺されるか殺すかの瀬戸際の御子たちでしたので、生物ならこの流れは致し方ないかなと・・・(。-人-。)・・・南無ぅ・・・。