罪穢れを祓う道具=大麻(おおぬさ)大幣(おおぬさ)・祓串(はらえぐし)と払子(ほっす) | Just One of Those Things

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日本神道での「おおぬさ」という言語の使われ方について、一般知識や知識、或いは理論についてきれいに整理されていない模様。(参考:大麻 (神道) | 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



罪穢れを祓う道具において、日本神道では、大麻(おおぬさ)大幣(おおぬさ)・祓串(はらえぐし)・などがあります。これらは、一般的に、混同されて言葉を使われがちですが、これらをそれぞれに大別すれば、御幣・祓串・お札・等あり、その道具と使い方やその意味合いはそれぞれ違います。


また、祭事終了後にいただくであろうお札とも違います(一般ではお札といわれる)。これらは実際に祀りに関わればわかります。それぞれ道具の呼び名や使い方があります。 


一般的に用いられている言語である「おおぬさ」は、祓串といわれている道具で、これは罪穢れを祓うためにもちいる祓具(祓物・祓柱・祓種)=祓(修祓)の道具の1つにあたります。また、大幣においては、祓に際して捧げる供物でもあります。


大麻(おおぬさ)とは、やや長めの榊の枝に「麻苧と紙垂」ないし「紙垂のみ」をつけたもので、祭事時に最後に祈願者自身がお供えするもの。祓串とは白木の棒に「麻苧と紙垂」ないし「紙垂のみ」をつけたもので、これも「いいぬさ」の一部を構成しています。


白木の棒についた沢山の御幣をつけた祓串については、通説では伊勢神宮の型式とされていますが、厳密には、八幡宮でも麻付幣・祓串の十字台が用いられています。即ち、つまりは、伊勢神宮だけのものではないという話になります。


祓の場では、神職が祓う人、或いは、車や建築物や土地に向かって、祓串を左・右・左と振ることで、穢れは「おおぬさに」に移ると考えられています。


神前での祭事中に神に捧げる幣帛(へいはく)・幣(ぬさ、或いは、御幣)の代表的なものは、古くは布地(絹)であったと言い伝えられています。即ち、そもそもは、幣も帛も絹のことで、それが後に麻付幣・麻苧と紙垂」ないし「紙垂のみ」となり、それが後に供物の総称となったものです。その理由は、神にとっても人間と同様、衣類が食物とともに欠かせないもっとも大事なものと考えられてきたからで、それはシルクロードの流れとともに変移していったものと考えられます。その思想の根源は古代のインド思想でインドは南方の施しの思想が原点となっています。


「おおぬさ」の「麻」は、「幣」と同じく、「ぬさ」と、日本神道では読むことがあることからもわかるように、「おおぬさ」にも本来供物という意味があります。麻も神に捧げる布地となります。しかし、「おおぬさ」という言葉は、祓の場面(個々の心身の清浄化)に強く結びつくことから、独自のニュアンスを持っています。


幣帛・幣が神への供物一般であるのに対し、「おおぬさ(大幣)」は、罪穢や災いの除去を神に願う場合に差し出す供物に限定されるところに特徴があります。さらに、(諸作法で用いられる諸々の)「おおぬさ」によって、もろもろの罪穢が浄化される点において、供物である以上に、(個々の心身の清浄化)祓の道具としての役割が強調されています。「おおぬさ」の麻に「大」がつけられたのは、それがもつ祓の清浄化能力への尊称として示されているものです。


日本列島の宗教史においては、元来、山岳信仰や修験道、神仏習合の神道系や実線仏道系、或いは、雑蜜においては、人の罪穢は「人型の札」などに負わせて海川に流されてきましたが、シルクロードにおいての仏教や密教の伝承がなされるようになると、後に衣服や布地につけて祓うようになり、さらにそれが形式化したところに、現在の「おおぬさ」の姿があります。


即ち、日本神道において、「おおぬさ」の意図するところを述べ挙げれば、①祓いの道具、②供物、という相対する二つの意味をもつ「おおぬさ」は、神への供物たるべき貴重な布地(着物・衣類)は、人間の穢れを吸収するものでもあるという関連(ロジック)を背景に、祓いの形式が整えられていく中、供物を意味する旧来の「ぬさ(麻・幣)」という言葉に新たに(本来の日本神道の実践であった「個々の心身の清浄化」=)祓いの機能が付加されたことで成立したと見ることができます。


「おおぬさ」が祓うのは、罪穢れであり、それは肉眼で見ることができません。これに対し、ハタキは目に映る塵を払うものですが、物理の力学上ではある意味、共通性があります。たとえば、死体や生物が発生させるもの、遺伝子や遺伝性などが穢れの発生源であるならば、少量の腐敗物なども程度は軽くとも穢れの源となります。ハタキが払う塵でさえ、ダニなどがあるならば、災いの源となるし、ある意味では穢れの原因となります。


したがって、「極めて汚濁(きたな)なき事も、滞(たま)り無ければ穢濁(きたな)なきはあらじ、内外(うちと)の玉垣清(たまがききよし)浄(きよ)しと白(もう)す。」という祝詞は、このようなロジックから成り立っています。



罪穢れを祓う道具のうち、実際は、作法中に神楽鈴を鳴らすのも(錫杖を振るのと同等)で鈴音で祓うものとされ、太鼓や鈴音も祓具の1つとされています。



厳密には、私が八幡神にあまりにも縁深すぎて、伊勢さんとはご縁が薄いのでしょうね…。どうにも、一致するところが少ないです。むしろ、護国神社の方が縁がありそう(八幡神の起源の由来、つまり、童子として表れ「我はインドの神なりて、守ってやるから祀れ」のそれに近い)ですA^^;



上記に対し、罪穢れを祓う道具において、日本仏教では「威儀を正す法具」として「払子(ほっす)(参照:払子 | 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )」という道具が用いられます。この払子とは、獣毛や麻などを束ねて柄をつけたものです。


諸葛孔明が常に携帯していた羽扇子は、本来は払子(ほっす)だったという諸説がります。払子は元来、インドにおいて殺生を禁じられている僧侶が、蝿を追いはらうために使っていたものが中国に伝来。それが日本にも伝承されました。

払子はもともと蚊などの虫に苦しめられていた比丘のためにブッダが用いることを許したとされています。このことから、インドでは蚊や虻などの虫を払う道具。不殺生戒により用いられたともいわれています。


もとインドで蚊・ハエやちりを払うのに用いたが、のち法具となって、中国の禅宗では僧が説法時に威儀を正すのに用いるようになり、日本でも真宗以外の高僧が用います。鎌倉時代に禅宗で用いられたのを最初に、真宗以外で法会、灌頂、葬儀に用いる威儀具として知られています。


唐牛(ヤク)の尾で作ったものが最も珍重され、白馬尾払(びゃくまびほつ)と共に白払(びゃくほつ)と言います。

後の世では、仏事法要に際して導師が用いるようになりましたが、それは払子が仏法の働きを意味すると考えられているからであり、払子が仏法を示すことになった一因に、道元禅師の上堂に以下のような用い方があります。

上堂に、百丈野狐の話を挙し了って云く「将に為えり、胡鬚赤と、希に赤鬚胡有り。不落と不昧と、因果更に因果なり」と。諸人、因を知り果を識らんと要すや、也、無や。払子を挙して云く「看よ看よ、因果歴然なり」と。払子を擲下して下座す。(引用:『永平広録』巻1-62上堂)

日本では、真宗以外の高僧が煩悩を払うのにも用いました。おもに禅宗で説法時に威儀を正すために用いられ,のちに各宗でも法会の際に高僧の持つ法具となりました。
 

また、払子は「麈尾」(シュビ)とも言い、。「麈」は、大鹿。群の主となる大鹿は、その尾の動きに群の他の大鹿が従うことから、教徒が教主に従う意を表して大鹿の尾の毛で作ったといいます。一般的に禅宗の専用の道具ととらわれがちですが、真言宗でも、用います。その意図は「 煩悩の蚊虻を払い この神聖な尾に触れる者は 必ず浄土に生まれ変わるよう、 戒律を授ける儀式には必ず用わえれるといいます。.


後日、理論上の整理をしてみましたが、こんなところでしょうか...... (-"-;A ..............