梅雨実感の毎日になりました。
昨日も今日も、雨を理由に読書しています。


先週のこと。
夕食を食べていたら、急に障子窓が
ピンク色に染まった。
慌てて窓に寄り、空を見ると一面の夕焼け。

隣の部屋の窓を開けると
もっと濃いサーモンピンクの空。
10分もしないうちに消えてしまった。

夕焼け空を眺めるといつも
仕事帰りの空を思い出す。

よい日も、思い通りにならなかった日も

見上げる夕焼け雲に充足感を感じた。

一日が無事に終わってゆくと
ホッとした気持ちで電車の窓から眺めた。
時にはオフィスの窓から
余裕なく見上げた日もあったけれど。

「働くこと」は生計を立てるためだ。

それでも仕事のなかに、それ以上の意義を

求めた。

一日の大半を占める拘束時間を豊かに

したかったから。


仕事を通して自己表現をする喜びもあった。

怠けてしまう自分が嫌になる日も。
がんばって達成感にひたる幸せも
知っている。

その時、その年、迷いはなかった。
手応えは感じていた。
でも今、あの日々は何だったのだろう
と思うことがある。

エッセイの題材を探そうと振り返った時、
指の間を砂が落ちてゆくように
あの若かった日々がサラサラと落ちてゆく。


「組織の中で働く」ということは
そういうものなのかも知れない。
組織の中では「その人でなければならない」
仕事なんてない。
あったとしたら、その組織は健全ではない。

その中で個人として手に入れてきたもの
はあるはず。
でも70代の今、なんだか心もとない。

創造的な仕事なら「何もないのかも」
とは思わない気がする。
職人さんのように手仕事をしてきた人
には残るものがあるだろう。


だから今、私はエッセイを書こう。
日の目をみる作品がわずかでも
私にとっては「創造的な仕事」だと
思えるから。

若かった日々、あれはあれで良かった

のだと思う。



梅雨の土曜日、のんびりお過ごしでしょうか。

明日も一日、ドライな気分で楽しみ

ましょう ♪︎♪︎♪︎