立春の静かな雨です。

日曜日でお休みの方は心身を思いきりゆるめて

過ごしましょう!

お仕事の方は「えいっ!」と掛け声かけて。


(昨日2月3日)


お正月に周平さんを読んだあと、読みたい本

がなくなった。

そんな時は沢木耕太郎さんの出番。

「敗れざる者たち」、「一瞬の夏」、「深夜特急」など何度も再読した本たちの中に、

一度しか読んでない本がある。それを手に取った。



無名

この本を初めて読んだ2003年は、

母に健康上の不安がなくなっていたから、

親の死はずっと遠い先のことだった。


そのせいか、父の死の前後が記された「無名」

を読んで、沢木さんが父親を美化している

ように感じた。

だから再読しなかったのだと思う。


このお正月明けに「無名」を読んだのは、

もしかしたら予感があったのかもしれない。

深く感じる箇所が幾つもあった。


大切な人の入院や逝去のプロセスで、

家族はそれぞれ自分を責めてしまうものだと

感じて、私は心が慰められた。


亡くなる人は何故か、家族が肉体的にも

精神的にも限界がきたころを見計らった

ように旅立つ。

このことは、他の本でも書かれている。

(例えば、増田れい子著「母 住井すゑ」)


一度入院して、治療のために点滴や機器類の

管がたくさんついている状態だと、

本人の意を酌んで、家族が退院と自宅介護

を懇願しても医師からOKをもらうのは難しい。

その記述にも胸を突かれた。

(今はこのころより、在宅介護のシステムが

 整っているだろうか)


私の母は看とりをしてくださる特養で、

自然のまま静かに旅立つことができた。

特養のスタッフのみなさまには、

感謝しても感謝しきれない。


どんな亡くなり方だったのかは、

人間の場合でもペットの場合でも、

遺された家族に大きく影響すると思う。


それでも遺された者には明日が訪れる。

前を向いて歩く日を人は誰でも求めると思う。

そのことを信じている。



白布をとると、冷たくなった母の唇に

オレンジ系の口紅が引かれている。

百歳に近いのにシワが少なくてきれいだ。


「おかあさん、口がちょっと開いてるね」と私。

「私が入れ歯を入れてあげるの遅れたから」

と妹。 二人で「ふふふ」と笑った。


沢木さんが、亡くなったお父さんのひげそり

をするシーンを、私は思い浮かべた。

(次回へ続く)