一冊の本と不思議な出合いをした。

角田光代著「庭の桜、隣の犬」

タイトルからホームドラマを期待した私。

何となくそんな気分だったから。


角田さんの小説は「対岸の彼女」しか読んだ

ことがない。

エッセイは視点が鋭くて面白い。

そして、この本は期待に反してホームドラマ

ではなかった。


(5/22朝)


30代の子どものいない専業主婦と企画会社

勤務の夫。

私には理解できない無気力な二人の生き方。


いつもなら、最初の50頁で読むのを止める。

でも、不思議なことに読み続けてしまった。

どうも、この作品に引き込まれたようだ。


「離婚するということと、今のまま結婚を

しているということがどう違うのか」と思う

妻、房子。


企画が通ってガッツポーズをする同僚に

「彼は自分に何ができるのか考えるタイプの

人間。どうしたら何もしなくて済むかに思い

を馳せるのが俺」と分析する夫、宗二。


そういうタイプの人間は、はっきり言って

嫌いだ。

でも、なぜか読むのを止められない。



二人を取り巻く人たちが対照的なのだ。

彼らには求めるものがある。

将来を思い描いて行動している。

そんな家族たちに向ける、二人の心の動きに

ひきつけられた気がする。


例えば、熟年見合いパーティーに参加する

宗二の母。

70代に近い男性と恋をして結婚。

その男性の亡くなった妻に嫉妬する義母を

羨ましいと感じる房子。


例えば、宗二にまとわりつくアルバイトの

女性。

彼女は会社の女性たちの中では浮いている。

その変人(?)の女性に対して宗二は思う。


「例えそれが珍妙な方向でも、自分以外の

何ものかになるという強烈なビジョンがある。

 どれほど健全か」



だからといって、二人は何も変わらない。

物語の最後でも、妻、房子は言う。

「ゼロのものにゼロを足してもゼロ」

「私たちが何をやってもゼロになる気がする」


二人は人生をどんなふうに漂流していくの

だろうかと思った。

私の期待したホームドラマではなかったけれど、

これも家族の物語なのだ。

本のタイトルには、私がイメージしたものとは

違う意味が込められていた。


(5/22 夕)


今日も一日、ごきげんでお過ごしくださいね。