● ご挨拶
初めまして。
ブログというものは、初めてやることになります、りくです。
私は金融機関に勤めているのですが、重度の不眠症にかかり、休職する羽目になってしまって。
そうしたら、更にうつ病まで発症し、年単位で地獄を見ることになりました。
このブログは、そんな私の行き場のない思いや、書きたいことを書きなぐるブログになります。
さて、それではどうして私が不眠症になっていったのか。
その経緯を、時系列で書いていきたいと思います。
※ この記事は、初めてこのブログに来られた方向けに、2022年に改めて書き直しています。
不眠発症から、現在(2022年)に至るまでの経緯を、大まかにまとめたものです。
● 不眠になった経緯
<初期不眠症発症>
2020年1月
仕事で疲れて帰宅し、さぁ寝るぞと床についたが、目がさえて朝まで全く眠れない日が突然現れました。
でも、それは一日だけで済んで。
それまでも、食べすぎた日とか、眠れないことがあったので、特に重く考えずに終わりました。
2020年2月
年に1度の長期休暇(有休を5営業日連続で取れる)を取得したのですが、その最後の日。
明日からまた仕事だと思うと、目がさえて朝まで全く眠れなくなりました。
その後、週に一度くらいのペースで全く眠れない日が定期的に出始める事態に。
「これはヤバいのではないか」と思い、市販の睡眠改善薬やお酒等(普段は家では飲まない)を試してみるも、全く効果なし。
2020年3月
2月の時と同じように、朝まで全く眠れない日が散発していたのですが、今度は2日続けて眠れない日が出てきてしまって。
これはさすがに、このまま眠れないとまずいと思い、上司に言って早退させてもらい、近所の精神科に通院スタートとなりました。
そこでは色々話をしたものの、結局「不眠の原因は何だ」という話はされずただ睡眠薬を処方されただけで。
ただ、その薬を飲んだら、その日は眠りにつくことができたので良しとしていました。
<睡眠薬服薬開始期>
2020年4月
精神科でもらった睡眠薬ですが、初めて飲んだ日はそれで眠れたけども、次の日に強い脳の違和感を感じたのは鮮明に覚えています。
この頃は眠れなさそうな日に頓服で飲むという対応をしていたのですが、最初に処方された薬だと飲んでも眠れない日が出てきてしまって。
そこで再度病院に行ったところ、フルニトラゼパム(1mg)を処方されました。
フルニトラゼパムは飲んだら効果テキメンで、必ず眠ることができました。
どういう薬かも知らずに、これはいいと思って、その薬に頼ることになっていったのです。
2020年5月~10月
服薬をし始めたが、不眠はむしろ悪化していきました。
だんだんと、もはや薬を飲まないと眠れないようになってきてしまって。
そしてフルニトラゼパムについても、眠れない時だけ薬を飲むようにしていたのですが、これがまた難しくて。
飲まずに眠れないでいて、深夜2時くらいになってしまった時には、「ここで睡眠薬を飲んで、朝起きられなかったらどうしよう」となってしまい。
結局、一睡もできずに出勤することが多々ありました。
4月の終わりから仕事の環境も少し変わり、この状態で働くのは心身ともにきついと判断したため、医者にどうしようかと相談しました。
そしたら、「毎日薬を飲んで、しっかり寝た方がいい」という素敵な指示が。
その言葉をうのみにして、それから毎日薬を飲んで寝る日々になりました。
薬を飲めば、眠ることはできたのです。
ですが、夜23時半頃服薬して、0時頃気絶。そして朝4時には目を覚ます・・・といったような日々でした。
しっかりと体が休まらないからか、体の調子は一向に良くならない。
疲れも取れず、精神的にも疲弊していく一方でした。
そんな私の様子を見かねた妻の勧めもあって、7月に近所の精神科から、別の心療内科に転院しました。
ですが、結局そこでも同様にフルニトラゼパムが継続的に処方されるだけで、むしろ抗精神病薬まで追加になっていました。
薬を飲み続ける以外の、根本的な不眠を治すことは成されず、ただ対処療法だけが続けられていたのです。
それを、半年も続けてしまいました。
<睡眠薬減薬、そして不眠の劇的悪化>
2020年11月 前半
結局体調は悪いまま。
何より、このまま一生病院に通い続けなくてはならないのか。
このまま一生毎日睡眠薬生活なのは、おかしいだろうと思って、医師に相談の上で減薬することになりました。
まず、医師は薬を一気に2分の1にしました。
この段階では、それでも前と同じように4時間程度は睡眠がとれていたのです。
だから2週間ほどして、さらに半分、当初の4分の1にしてみました。
そうしたら、今後はとたんに眠れなくなってしまったのです。
4分の1にして一睡もできず、次の日も眠れなくて、元の1錠に戻して、ようやく数時間の睡眠。
それでも、次の日はその量を飲んでも全く眠れない。
ここで、「薬を飲んでも全く眠れない日」が出てくるようになってしまったのです。
薬の減薬のタイミングで、完全に悪化しました。
後になって、「離脱症状」「反跳性不眠」なるものの存在を知りましたが、まさにそれでした。
(ちなみに、医師から薬についての説明は一つもありませんでした。法律で取り締まられているような薬を出すのだから、ある程度の説明はあって然るべきだと私は思います)
それで再度、医師に相談したところ、「薬の組み合わせを変えてみましょう」ということで、ラボナ等が新しく処方されました。
(※wikiに、「バルビツール酸系は極力処方を回避すべしとされ、日本睡眠学会も現在は睡眠薬としてほとんど用いられないとしている」と書かれているお薬。致死量が低い)
当時は薬をよく調べもせず、言われるがまま飲んでいたのですが、それでも眠ることができませんでした。
残っていたフルニトラゼパムとセットで飲んでも、眠れない。本当に、薬を飲んでも一睡もできない日と、3,4時間程度睡眠がとれる日が交互にやってくるような状態になってしまいました。
薬をあれやこれやと変えても改善されない状況から、そこで医師から「重度の不眠症」の診断書が出ました。
「休みながら治しましょう。パンクしたまま走ってどうするんですか」と言われて、休職することになったのです。
振り返ってみて、最大の失敗は睡眠薬を漫然と飲み続けたことでした。
睡眠薬って、私は最初飲んでいれば不眠症が治るものだと思っていました。
しかし実際は、ただ薬の力で強引に気絶させているだけのものだったのです。
元の疾患の原因は何なのかとか、そこに目を向けず、そうやって対処療法だけしてきたことのツケが出てきちゃったわけです。
例えるなら、歯が痛いって言って歯医者に行って、
医者「痛いのは大変ですね。では、痛み止めを処方しますよ」
私「薬飲んだら痛くないです!」
医者「それは良かった。一生飲んでも安全な薬ですから、毎日飲みましょう」
こんなやり取りをしていたようなものです。
良くなるわけ、ないじゃないか。
飲み続けていたフルニトラゼパムも、後になって調べれば強い薬だったようで。
「1ヶ月以上の使用で依存が生じる可能性があり、4週間までの短期に限って使うべき」だとか、「アメリカやイギリスでは所持が禁止されている」だとか。
そんなものを、半年以上も飲ませ続けるのは、どういう神経なのだろうかと正直思いました。
ですが、通い続けて何となく分かってきたのですが、日本の医師には自分たちが扱っている物が危険なものかもしれないという発想がまるでないのです。やっている治療は、全て正しいものとなっているのです。
私のように、飲み続けてよくならない人がいた場合に、「なぜそうなったのか」「どうすれば防げるのか」といったように、治療がうまくいかなかった時の検証やフィードバックをしっかりしてもらいたいと思います。
それが行われないから、同じような人が増える一方なのです。
話がそれてしまいましたので、戻しますね。
そういった経緯で休職することになったわけですが、私はここからガラガラと崩れていきました。
<休職、そして精神状態の悪化>
2020年11月 後半
仕事を休職することになった私。
それまで、自分で言うのもなんですが非常に順調に仕事をしてきていました。
休職することなど、初めての経験でした。
そしてここで、精神状態が非常に悪化したのです。
まず、この症状の出口が全く見えないこと。
それが、とても恐ろしかったです。
続いて休職することで、「本当にヤバい状態だ」という焦りが、絶望が出てきました。
・ 住宅ローンも去年組んだばっかり
・ 奥さんはコロナで職を失う
子どもも、上の子がまだ保育園の年長。下の子は3月に生まれたばかりという状況。
それで、こんな状態になってしまって、自分がこのまま働けなかったら家族はどうなるんだ。
そうやって、色々グルングルン思い悩んだら、追加で鬱にまでなってしまって、まさに踏んだり蹴ったりな状況になりました。
家にいてもじっとしていられず、ウロウロウロウロ歩き回って。
家の中だけではなく、近所も徘徊です。
更には、気持ちが爆発しそうになって車で行く当てもなく運転しながら、
「どうしてこうなった!!!」
「誰か助けて!!!」
「あぁぁぁぁああああぁあ!!!」
等と車内で叫び散らし、錯乱状態で病院に電話。
そして病院に駆け込んでは、謎の点滴を打たれて鎮静されて帰される。
そんなことを繰り返していたら、行っていた心療内科の医師から
「うつの症状が出ているので、紹介状を書くから精神科に通院した方がいい」
と言われ、精神科に転院することになりました。
要するに、もう面倒見切れないから精神科行ってくださいということですね。
<精神科への転院、新たな向精神薬の服薬開始>
2020年12月
厳密にいえば、11月の末からですが、地元にある大きな精神科に通院することになりました。
そこでは、睡眠薬の代わりに向精神薬(以下参照)を服薬する方向でやっていくことになりました。
しかし、ここに転院しても不眠の原因は分からないという状態。
医師(おじいちゃん先生)も、「なんでそんなに酷い不眠になるのか分からない」という始末。
・リフレックス 15mg
・アミトリプチリン 25mg
・コントミン 50mg
睡眠薬であるフルニトラゼパムはまだ手元に残っていましたが、飲んでももうまともに眠れないので全て処分しました。
そして、12月1日からベンゾ系睡眠薬は全く飲んでいません。
ここが、私の睡眠薬断薬のタイミングとなります。
最初のうちは、上記の薬を飲んでもサッパリ眠れなくて。
3日完徹なんて当たり前の状態。
ですが、半月くらい飲み続けることで徐々に睡眠時間が長くなっていって。
12月末頃には安定して眠れるようになっていました。
ただ、この眠りも、「眠くなってきて寝る」というものではありませんでした。
飲んで横になっていたら、いつの間にか気絶していたって感じです。眠気というものを、感じられないのです。
この薬の処方、医師曰く「普通の人がこれ飲んだら次の日、眠くて仕方なくなる」というものでしたが、私は全く眠気を感じることができないでいました。
ですが、ここで眠れるようになってきたからと、私は仕事への復帰を焦ります。
まだ薬で寝かされているような状態だったのに。何より、一度崩れた精神状態はまだガタガタの状態でした。
それでも、「早く戻らなきゃ」という焦りで、復帰を急いでしまったのです。
これも、私の大きな失敗の一つです。
<職場への復帰と、再度の症状悪化>
2021年1月~3月
復帰を焦った私は、約2ヶ月の休職の後、復職しました。
最初は週に何回か半日だけ出社して。そのうち、毎日半日になって、次は隔日で終日になって・・・といったように徐々に時間を増やしながら復帰していきました。そして、2月の半ば頃には通常の勤務に戻っていたと思います。
たった2ヶ月の休職ですが、周りの人の目が物凄く気になりました。
出勤開始後も、半日で帰るときとか、本当に胸が痛かった。
悪いことしているわけじゃないんですけど、「お先に失礼します」と言う自分が情けなくなりました。
睡眠状態も、薬を飲むことでどうにか安定的に眠れてはいました。
フルタイムで勤務できるようになり、これから挽回していくぞ!・・・と、思った矢先。
3月になり、定例の人事異動が発令され、私は異動することになったのです。
会社の本部勤務から、支店勤務に。
異動した先は、私が住む家からすぐ近くの支店でした。
通勤の負担が少ないようにしたということですが、そこのトップは一時期パワハラで有名だった人でした。
一気に不安が募ります。
復職してはいましたが、精神状態は乱れたままでした。
一番は、良く分からない不安に支配されていたことです。
今思えば、抗不安薬(フルニトラゼパム)を断薬した反跳性不安じゃあなかろうかとも思います。
それでも、復職後は元々の場所、元々の業務に戻れたので、何とかやっていられたのですが、ここで異動になることで環境は激変。
それとともに、不眠の再発と精神状態の悪化が起こります。
<2度目の休職開始>
2021年4月
人事異動によって、やっていた業務が変わって。
私は、一部門の責任者という立場になりました。
そこで、私は多くのストレスに見舞われることになってしまって。
そしたらまた眠れない日が出てきました。
この恐怖は、半端なかったです。
また、眠れないのか。もう、どうすればいいのかと。
そうしたら、うつ状態も更に悪化。
休みの日はひたすら横になっている日々。
毎日、出勤前は胸が苦しくなり、手がガタガタ震える始末。
そして、結局音を上げて、人事部や支店のトップとも相談のうえ、休職に入ることにしました。
正直、錯乱状態に近かったので、私は彼らとの面談の中で「もう辞めないとダメかと思っています」という話をしました。
体をガタガタ震えさせながら。
それで、人事からは「辞めたいという意向があるなら止めないけど、一度産業医と面談してはどうか」ということになり。
産業医との面談をしたのですが、そこで「一度休んでみましょう」と諭されて、私は再度の休職を選びました。
ここで休職を選んだのは、大正解でした。
仕事を辞めればすぐ良くなるかどうかといえば、その保証は全くありません。
実際、これを追記している2022年3月現在、1年経った今でもしつこい不眠に悩まされていて、元気に仕事できるような状態ではありません。
これでは、転職などできるはずもない。
この不眠の治療がどれだけかかるか分からない中では、収入をどこまで確保できるかが生きていくための最重要課題です。
ここで辞めて傷病手当金を頼りにしても、その支給は1年6ヶ月が限度。
私の勤め先のように、独自の制度として休職してからもしばらく給与の保証があるならば、それにお世話にならない手は無いです。
私が重度の不眠に悩まされながらも、どうにか精神を保っていられるのも、そういった保証があるからだと思います。
ともかく、そういった経緯で4月の頭から再度の休職に入りました。
<精神科転院と、変薬による再度の不眠悪化>
2021年5月
一度目の休職の時から通っている精神科に通い続けていましたが、そこから転院することになりました。
というのも、精神科での診察の状況は適時人事部に報告しているのですが、毎回診察が2分程度であることを話すと、もう少し良い所に変えないかとアドバイスをいただきまして。
人事部から勧めのあった同じ市内の病院に転院することにしました。
転院するに際して、新しい病院の予約をとったのですが、ゴールデンウィークもあって、予約が約1ヶ月後になってしまって。
もらってある薬では、足りなくなってしまったのです。
それでも、その時は
「足りなくなるなら、飲まない日を設ければいいや」
と、軽く思っていたのですが、これが甘かった。
飲まない日を設けたものの、2日連続で飲むのを止めたところ途端に眠れなくなったのです。
これがもう、飲まない限り全く眠れません。
5日ぶっ続けで完徹になりました。
これには、本当に愕然としました。
「あぁ、結局治っていないじゃないか」と。
そうです。治らないどころか、むしろ酷くなっていたのです。
睡眠薬を半年飲み続けた結果、余計に不眠を悪化させて休職し。
その後、向精神薬を同じく半年飲み続け、結果としてまた余計に不眠を悪化させてしまったのです。
「このままだと、永遠に通院させられる羽目になる」
「むしろ、入院させられて廃人にされて終わりではないか」
「そんなのは、勘弁被る」
「絶対、精神医療から脱出してやる」
ここでそう、誓いましたね。
<不眠との闘い>
2021年6月~
色々薬を試しましたが、アミトリプチリンを飲むと、眠れる傾向にあることが分かりました。
しかし、飲んで寝たとしても、次の日が布団から出られず、夕方まで布団の中で過ごすような状態になっていました。
それを医師に訴えたところ、薬を変えられてオランザピン一択になったのですが、それだとまた眠ることができませんでした。
またアミトリプチリンを戻すという手も考えましたが、日中動けなくなるのも嫌だし、何より結局また薬が効かなくなってきて再度の不眠悪化というルートが目に見えていたので、私はここで薬を飲むのを止めました。
ここが、私が向精神薬を完全断薬するタイミングとなります。
しかし、悪化した不眠は本当にとんでもない状態になっていました。
この6月、1週間以上ぶっ続けで眠れないというのを経験しました。
それでも全く眠くならない。
そのトンネルを抜けても、定期的にやってくる絶不眠。
眠れたとしても、数時間で目が覚める。
23時に寝て深夜0時に目が覚めるなんてこともザラです。
この6月、7月、8月は寝れた日は一ヶ月の半分以下でした。
月の睡眠時間が合計30時間とかの時もあったかもしれない。
ここからの睡眠状況の変遷は、「月別睡眠状況」という記事で書いてありますので、良ければご参照ください。
● 最後に
この不眠との闘いは、本当にしんどいです。
寝たいのに、寝て回復したいのにそれが全くできず、次の日を死んだような状態で過ごさなければならない。
昼寝をしたくても、全く意識が落ちません。
それが、いつまで続くか分からないのです。
出口が見えない。
ただ、きっともとに戻る日は来る。
そう信じたいですし、回復した姿を見せることで、他の不眠に苦しむ方に希望を見せられたらいいなと思っています。
昔は、子供を寝かしつけながら、一緒に20時くらいには寝ちゃうとかいうことがザラにありました。
テレビ見ながら、ソファーで寝ちゃうということもザラにありました。途中で起きてもその後、すぐに二度寝していた。
本当に、あの頃が懐かしいという感じです。
それを、何とか取り戻したい。
そのためにもがく日々と、その他書きたいことを書きなぐるブログです。
良ければ、お付き合いください。
m(_ _)m
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