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日本は「ものづくりの呪い」を克服できるか
(ニッセイ基礎研究所 経済調査部門 研究員 高山武士)


 天然資源の豊かな国はなぜ、経済発展できないのか?

 この問いについて分析したリチャード・オーティという経済学者が生み出した言葉が「資源の呪い(resource curse)」である。

 天然資源が豊かな国では、資源をそのまま売ることで(輸出することで)利益が得られるので、工業化や生産性を高めることを怠ってしまう。様々な産業を育成する必要もない。政府は石油採掘など資源から得られる利益を確保し、政治腐敗や汚職が蔓延する。

 こうして、高成長ができなくなってしまう現象を、「資源の呪い」という。

 現実には、オーストラリアのように資源の呪いを回避し高所得国になった国や、インドネシアのように、今まさに資源の呪いから脱却しようとしている新興国もある。ただ、世界にはまだ資源の呪いに苛まれている国が多い。

 その点、日本は天然資源に恵まれず、資源の呪いとは無縁であった。そればかりか、アジアでもっとも早く工業化が進み、「アジアの奇跡」とも呼ばれた。

 しかし、奇跡を起こした日本も、いまや、わずかな成長しか達成できていない。なぜだろうか?

 文明開化以来、古くは繊維産業、戦後は自動車や家電などの製造業が日本の成長を牽引してきた。この時期、日本で生産した「もの」は、日本にとってお金を産む重要な財産となった。資源国が原油を採掘すればお金になるのと同じように、日本では、ものをつくって売ればお金になった。

 こうして、お金になりやすい財産を得た日本は、付加価値の高い新しい産業を育成することを怠ってしまったのではないだろうか。日本はいわば、「ものづくりの呪い」にかかってしまったと言えるのではないだろうか。

 「ものづくりの呪い」にかかると、ものづくりにこだわり、他の産業が育たなくなってしまう。資源の呪いにかかった国が単純な採掘作業から抜け出して、石油化学工業のような生産性の高い産業を発展させることが出来ないように、ものづくりの呪いにかかった日本は単なる生産活動から抜け出せず、成長が停滞しているのではないだろうか。

 しかも、「ものづくりの呪い」がやっかいなのは、単なる生産活動としての「ものづくりの技術・能力」は、天然資源と異なり、価値が減少していくという点にある。

 天然資源は限りがある。この希少性が付加価値の源泉となり、資源国は利益を得ることができる。一方、生産活動としての「ものづくり」は、世界各国で工業化が進展すると、貴重さが失われ、それまで工業国だった国が享受してきた利益は少なくなってしまう。事実、イギリスはアメリカによって、アメリカは日本によって、そして日本は韓国や台湾によって、工業国という利権が脅かされてきた。

 資源はただ採掘するだけでお金を産むが、ものづくりは、ただつくるだけではお金を産まなくなっていく。ここに「ものづくりの呪い」のもうひとつの怖さがあるように思う。

 日本には勤勉な人が多いと言われる。資源であれば勤勉に採掘するだけで儲かったかもしれない。しかし、ものづくりは勤勉につくるだけでは儲からなくなっていく。日本の強みと言われる勤勉さだけでは成長が難しくなっていく。

 では、日本に先んじて工業化した国はどのように「ものづくりの呪い」を脱したのだろうか。

 「資源の呪い」の場合、それを克服する方法は、資源に頼らない成長を目指すことである。「ものづくりの呪い」も同じだろう。工業化時代と同じことをやっていては、「ものづくりの呪い」から脱することは出来ない。

 イギリスやアメリカは、製造業中心の産業構造から金融業などサービス業中心の産業構造に変わることによって「ものづくり」をある意味では捨てた。また、ドイツの自動車産業のようにブランド化を進めることで、工業化時代の単なる生産活動としての「ものづくり」から脱却した国もある。ブランド化し、顧客からの評判や期待を獲得できれば、他国が工業化してもコスト競争という際限なき争いを回避できる。

 いずれにせよ、こうした国では、かつての製造業で稼げなくなっても、新たな産業や付加価値が創造・育成されているように思う。少なくとも「このままではまずい、今までのものづくりでは稼げない」という思いが、思いのままで終わらず、新しいトライとして具現化し、価値ある産業を生み出すきっかけになっていると感じる。

 日本の場合、どうしても「トライ&エラー」のエラー部分が注目されてしまい、肝心のトライがしにくくなっているように思う。そのため、このままではまずいと感じても、トライできない、あるいはトライが遅れてしまって「ものづくりの呪い」を克服できないのではないだろうか。工業化時代と同じように、技術を向上させ、コストを削減しても「ものづくりの呪い」からの脱却は難しい。

 ものづくりでは、欠陥品を出さないようにする、つまりエラーを減らすことが重要だったかもしれない。しかし、これから新たな価値を創造しようとする場合には、トライが無ければ始まらない。日本ではまず、こうした、トライを積極的に評価していく姿勢が必要なように思う。