防災政策の転換期【震災後の新しい「防災」のかたち】
(三菱総合研究所 科学・安全政策研究本部 主席研究員 堤一憲)
未曽有の被害をもたらした東日本大震災から1年が過ぎた。日本はこの巨大地震災害を契機に、本格的に「地震の活動期」に入ったとも考えられ、南海トラフの巨大地震(東海地震・東南海地震・南海地震)、首都直下地震が近い将来発生する可能性が危惧されている。このような明日起きるかもしれないカタストロフィックな災害(大規模かつ破局的な災害)に対して、国をはじめ自治体・企業・地域・個人が対策の強化を急ぐとともに、従来の防災の概念を改めなければいけない。
今回の大震災は数多くの課題をわれわれに投げかけた。現在、国では中央防災会議「防災対策推進検討会議」を開催し、今後の防災対策について検討を進めているところであるが、本会議の中間報告の際にまとめられた東日本大震災における教訓・課題のうち、大きく3つの教訓に絞って、今後の防災政策のあり方について考えてみたい。
今後の防災政策1:『最悪のシナリオを考慮した防災対策の推進』
(教訓)
災害を完璧に予想することはできなくても災害への対応に想定外があってはならない。
(今後の防災政策)
東日本大震災では、広域地震災害に巨大津波が伴い、かつ原子力災害が重なった結果、壊滅的な集落の発生、自治体自身の被災による対応力の大幅な不足、ライフライン/インフラの途絶、燃料不足による緊急輸送の遅れ、風評被害、電力供給不足など、過去に例を見ない事態が発生した。ただし、これは最悪のシナリオではなく、たとえば「積雪寒冷下における深夜の地震発生」などを考えた場合、より大きな被害が発生していたであろうことは想像に難くない。想定外はあってはならず、発生確率は低いとされることであってもさまざまな事態を想定し、対応方針をあらかじめ決めておく必要がある。たとえば、地震・津波災害、火山災害、大規模水害、豪雪、原子力災害、強毒性の感染症などの複合広域災害が考えられ、今回の大震災のように自治体自身の被災なども考えられる。発生確率は低くても最悪の事態が発生した場合の対応について想定しておくことが重要であり、ハード対策とソフト対策のバランスなどを考慮して対応策を検討しておくことが求められる。
今後の防災政策2:『被災による現地対応力の減少や同時被災性などを考慮した全国規模の広域応援体制の構築』
(教訓)
阪神・淡路大震災では地震動による教訓を、また、東日本大震災では津波による教訓を学んだが、それだけに着目するのではなく、被害が広域にわたったことなどにも着目しなければならない。
(今後の防災政策)
東北地方においては「大規模災害時の北海道・東北8道県相互応援に関する協定」などの応援協定があったが、東日本大震災では被害規模が大きく広域的であったため、協定の枠組みを超えた全国規模の応援が必要となった。また、自治体職員(とくに役職者)の被災により行政機能が大幅に失われ、自治体としての意思決定が不可能となり支援の受け入れに難渋した場合もあった。こうした課題を踏まえ、広域災害に備えて、官民を問わず全国規模のリソースを活用した広域応援体制の構築が必要である。
今後の防災政策3:『防災教育の徹底』
(教訓)
東日本大震災の教訓・課題については防災教育などを通じて後世にしっかりと受け継いでいく並々ならぬ努力が大切である。
(今後の防災政策)
2004年スマトラ島沖地震津波で大被害を受けたインドネシアの都市バンダ・アチェでは、多くの人が地震後に津波が来るとは思わず、津波が間際に迫ってから避難を開始したために大惨事を招いた。一方、先日の「NHKスペシャル」で紹介された福島のサーファーの映像には、「津波ヤバくない? これ絶対津波来るよ。高いところに逃げなきゃ」という言葉が記録されていた。これはさりげない言葉であるが、とくに印象的であった。日本人が経験的にもっている危機意識であり、われわれ日本人はこの地震列島に住むかぎりこうした意識を絶えずもち続けないといけない。
しかし、東日本大震災から1年が経過し、あのときに感じた衝撃を忘れつつある。被害映像を見るたびに思い出しはするものの、当時受けた衝撃や危機感はどうしても薄れていくのが現実である。今回の大震災で被害を受けた三陸地域は、1896年明治三陸地震、1933年昭和三陸地震、1960年チリ地震津波を経験してきた歴史があるものの、当時とは比べものにならないほど高度化した現代の防災社会にあっても、東日本大震災では既往被害を超える規模の大惨事となった。この経験や教訓は後世にずっと伝え続けないといけない。そのため、今までおろそかになりがちであった防災教育を学校だけではなく社会に根づかせる必要がある。
