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離婚した「モラハラ夫」とのことを書いていますが、不定期公開となりますのでゆる~く読んでいただけたら嬉しいです
新婚生活が私の実家でスタートしましたが両親は母屋で、私たちは離れでの生活だったため、食事以外は基本別々に過ごしていました。
食事の支度は母屋の台所でしていましたが、それとは別にとっても狭いですが離れにも台所とお風呂はあったし、冷蔵庫も離れに自分たち専用の物があったため、同居と言うよりは2世帯住宅という感じで快適に過ごしていました
私の母は人の好き嫌いが激しい…というか好きな人なんてほとんどいなくて、ほぼ皆のことを嫌いで文句・悪口ばかり言っている人でしたが、人当たりの良い「モラ夫」のことはとても気に入っていたので上手く行っていました
「モラ夫」は両親を2人きりで残して私の家に婿養子として入ったため、私も「モラ夫」も罪悪感と言うか、申し訳ない気持ちがあり
寂しい思いをさせてはいけない
という気持ちが1番ではありましたが、新婚旅行のお土産を届けに行ったり、なんだかんだで土日休みの内のどちらか1日は毎週末義理実家へ行っていました。
私の両親がクソ真面目で面白みが全くなく余り話さないのに比べ、義理両親はとても良く喋ったので一緒に話していて楽しかったし、ほぼ2世帯住宅といえども、やはり「モラ夫」は父と一緒に仕事をしているわけですから
息抜きは必要だろう
と私も思っていたので義理実家へは私も一緒に行って過ごしていました
もちろん2人になった義理両親は私たちが行けばとても喜んで迎えてくれましたし、美味しい義理母の料理もご馳走になることができて一石二鳥だと思っていました
しかし後から考えると
「モラ夫」は義理母の作った料理が食べたかった
から義理実家へ毎週行っていたんだんだろうな、と思いました
私は料理が好きではないし、得意ではありません。
しかし私の母はさらに上を行っていましたほぼ働いたことも無く
女は結婚して家庭を支えるのが当たり前
という風潮がかなり強かった時代の人だったのでそのことを否定するつもりは全くありません。母はそう思って生きて来ただろうし、実際ずっと専業主婦として生きてきました。
私が言うのもなんですが、母の料理は
それでこれ?
と言ってしまっていいだろう感じでした
前もブログに書きましたが、カレーならカレー、サラダもスープもなし。
煮物と言えば肉じゃがばかり、しかも物凄い薄味です
変わった料理は一切出てこず、同じメニューがひたすら交代で出てくる感じです。
しかもどれも良い言い方をすれば健康を考えての超薄味、はっきり言って全く美味しくありませんでした
それに対して義理母は本当にお料理上手でどれを食べても美味しかったです「モラ夫」が義理母の料理食べたさに実家へ戻りたい気持ちも理解できたし、とにかく家は「堅苦しい」という表現が1番あっているかもしれない…とその家で育った私でも思うほどなので、「モラ夫」が義理実家へ帰りたがる気持ちは理解できたし、私も義理実家へ行くとほっとするのを感じました
そして相変わらず義理母と「モラ夫」が台所で一緒に料理をし、その間私と義理父がリビングで話をする…という感じでしたが、料理が好きではない私にとっても快適でしたし、料理が好きで義理母とも話したい「モラ夫」にとっても楽しい時間だったので、この毎週末の義理実家への帰省?は私たちにとってなくてはならない時間でした。
私が子供のころは家族で多少は出かけましたが、中学生くらいから家族で出かけることは一切なかったのですが、義理両親とは子供が生まれるまでは、季節の花を一緒に見に行ったりと、時々4人で出かけたので
普通の家族ってこんなかんじなのかな?
と思い、楽しく過ごしていました
義理姉の帰省時以外は…
続く
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