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離婚した「モラハラ夫」とのことを書いていますが、不定期公開となりますのでゆる~く読んでいただけたら嬉しいです
「モラ夫」が自分の両親に結婚を報告し、4人で食事へ行きました。
車の中では義理父の運転が気になって仕方ありませんでしたが、車で数分の和食のお店へ到着しました。
「何でも好きなものを注文しな」
と義理父に言われ、食事をしました。
意外にも緊張していた私に義理父は色々話しかけてくれました。
そしてとても良く喋ります
義理両親は全く緊張することなく「素」の状態で食事をしていたことをよく覚えています。
私の両親は「お堅い」という言葉がぴったりな、クソ真面目な人たちなので、義理両親との食事会も当然緊張感のあるものになるだろうと思っていたので、まるで「家族」の様な状態での食事会になるとは夢にも思いませんでした
私が自分の両親に結婚を報告したあとに、やはり私の両親も「4人での食事会」をして
くれましたが、「モラ夫」家との食事会は車で数分のお店に予約をしないで行きましたが、私の両親はそれなりに名前の通った料亭で個室を事前に予約して、コース料理での食事会をしてくれました。
こういうことを書くと
ミント、自分の家がお金持ちって言いたいんだろうな
自慢してる
と思われる方も沢山いらっしゃると思います。
しかし、この
両家の経済格差
は最後まで私たちの結婚生活で大きな問題でしたので、これからも度々出てきてしまいますが、「自慢」ではなく「原因」になったことなので、読んでも気分を害すこと無く
ああ、またこういうことがあったんだな
と思って読んで頂けたら幸いです
私の両親が開いてくれた食事会は、私の両親が元々「クソ真面目」で「お堅い」上に料亭での個室だったので、終始緊張感があったことは覚えています
それに比べて「モラ夫」家との食事会は、近所のお店へフラッと行って、各自好きなものを頼んだし、義理両親が全く緊張していなかったこともあるので本当に「素」の状態を見ることが出来ました
最初はやはり「モラ夫」の話をしていたと思います。
「小学生の時は「神童」と呼ばれていた」
と「モラ夫」からも聞いていましたが、その話は義理父もしていたので
本当なんだ
と思いました。
そして義理父と義理母の生い立ちについてたくさん話しをしていました。
義理父は8人兄弟だったので、高卒後すぐ就職して
「下の兄弟の学費の為に、就職してからの数年間は親が「もういい」と言うまで給料を全て家に入れていた」
という話を聞いて目玉が飛び出るほど驚きました
はっきりは覚えていませんが、家に給料を全て入れていたのは2~3年ではなくもっと長い期間だったと思います
そして義理母も7人兄弟で実家が農家だったから
「朝起きたらすでに両親は畑に出ていなくて、朝ごはんを食べたら学校に行くまでは妹をおぶって畑仕事を手伝っていた。農家だし兄弟も多くてお金もないから女は中学までしか行かせてもらえなくて、中卒で就職した」
失礼を承知で言います。不愉快になったらすみません
そうはいっても私と同年代の方でしたらわかると思いますが、多分ほとんどの親は昭和初期生まれで戦争を経験しています…。それでも私はこの年代の人で「中卒」という方の話を、後にも先にも義理母以外に聞いたことは有りません。
あまりの衝撃に言葉を失いましたし、多分顔が引きつっていたと思います
この「義理母が中卒で驚いた」と言う文に対して、昭和10年代生まれの方は結構中卒の方が多い、と言うコメントを頂きました。
私は親の兄弟も少なく、親戚付き合いも少ないので、私の周りだけを見てこう感じてしまいました。
感じた事は事実なので訂正しませんが、自分が無知だったことは理解出来ましたし、そのせいで不愉快な思いをさせてしまった方々には申し訳なく思っています。
すみませんでした。
続く
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