刻まれた記憶はきえない | ちゅいちゅいさんが、行く!

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鳥(ちゅいちゅい)が大好きなekoekoが綴る、インコたち、ゲームのプレイ日記、妄想の産物などいろいろ♪

みなさま、こんにちは^^
今日はわたくしの戯言にほんの少し、お付き合いください><



東北地方太平洋沖地震が起こって、旦那の家族が被災地にいらっしゃり、
行方がわからなくなってて、とても心配していました。
家族から「無事だ」という連絡もあり、ひとまずは「ほっ」としたのですが、
どういうわけか、その頃からずっと心の中にもやもやとしたものがありました。

日に日に明らかになってゆく、地震のものすごさ。

そして、先日、わたしが小説を登録しているあるサイトで
被災地にいらっしゃる方がかいた日記のようなものを見たとたんに
涙があふれてとまらなくなってしまいました。
テレビでは決して伝わることのない、リアルな生の感触。
それが彼の言葉からつたわってきて、どうにもなく涙があふれてとまらない。


自分は今回の地震では、全く被害のなかった地域にいます。
なのに、どうしてこんなに、怖いんだろう。涙がでるのだろう。
こんなに心が重いのだろう?


ずっとそんなことを考えていたら、ツイッターでお世話になっている方の
あるツイートで、ある方のブログが紹介されていました。

それを拝読させていただいて、自分のもやもやの原因がようやくわかった。
読みながら、わんわんと声をあげて泣いてしまった><


このブログを書かれた市会議員さんと同じ。
わたしも十六年前に阪神淡路大震災で被災しています。
家は幸いにもマンションだったため、全壊はまのがれましたが
家の中はぐちゃぐちゃ。片付ける気力もなく、長い間、土足で家の中を
歩いていたこと。
ライフラインを絶たれ、お風呂に長い間はいれなくてつらかったこと。
トイレに困ったこと。
いつもおなががすいてたこと。
ペットだった鳥たちの餌の確保に、壊れてしまったスーパーをあちらこちら
かけずりまわったこと。
自分ちに、義理母の友達など全く知らない面識のない男の人と
一緒に寝ることになったこと。
いまだに、ほんの小さな地震でも飛び起きてしまうこと。
夜中に旦那の手を握り締めて、びっくりされたこととかありました(笑)

そして、このブログを書かれた方のように、悔しいと感じる思いも
ありました。



十六年の年月が、すこしずつわたしの記憶の中で
あの日のことを日常から遠ざけてはいました。


だけど、記憶に刻まれたあの日の恐怖とかどうしようもないやり場のない気持ちだとか
そういうのって、絶対に忘れることができないんだなって。
忘れるというよりも、心のどこか奥深い場所に、死ぬまで刻まれたまま
なんだろう。
今回の地震をテレビの報道などで見ていて、あの頃のつらかった記憶が
どんどんじぶんの中で、大きくなっていたのだなと。



今回の地震がおこってから、
わたしに出来ることは、なにかないか。
ずっとそのことばかり、考えていました。

被災地にいる旦那の家族にも、旦那と相談して「物資」やお金を送りたいなと
そう思ってました。
だけど、本当の意味でわたしに出来ることなんてなにもないんだなと、
この方のブログをよんで、そうおもった。
単なる自己満足にならないように、
本当に被災した方にとって喜んでいただけることは
「助けを求められたときに、自分のできる範囲で答えてあげれること」なのかもしれない。



そして、祈ること。

ただ、ただ、ひとりでも多くの命が救われますように。


なくなられた方のご冥福を心からお祈りします。