子②(小4女児)の同級生の女の子が耳にピアスを付けて登校してきたという。

 

その話を聞いた瞬間、「たぶん親が子どもを私物化・玩具化しているんだろうな。」と思った。

 

 

 

女の子の多くは自分をキレイに見せたい。

 

そのことは否定しない。

 

それに、自分の体は自分のものであるから、どこにどんな穴を空けようが、鼻や腹にピアスを付けようが付けまいが、確かに個人の自由だ。

 

しかしそれは、自分の体に穴をあけることの意味や不可逆性を理解しうる年齢になってからの話だ。

 

小学校は社会生活のルールや生きていく上で必要な知識教養を子どもたちに身に付けさせることをその使命とする場である。

 

すなわち、基本は躾の場である。

 

小学生はその小学校の大切なお客さん、預かりモノなのである。

 

 

 

「躾」という字は「身を美しく」と書く。

 

その場合の「美」は身だしなみや所作振舞の「美」の意であって、美醜の「美」ではない。

 

小学校はキレイやおしゃれを競う場ではないのだ。

 

しかし、子どもを玩具化するような親は想像力が働かないことが多いから、事の顛末を予想できない。

 

子どもたちはどうしてもお友達の真似をしがちだから、誰か一人がピアスを付けて登校してしまうと、女の子たちの間でおしゃれ競争が激化する恐れがある、ということにまで頭が回らない。

 

「だって自由の国アメリカの小学生はピアスしてるわよ。」

 

一部の親はそう言うのかもしれない。

 

しかし日本とアメリカは文化が違うのだ。

 

開拓時代の伝統で靴を脱がないアメリカ人は、土足のまま家に上がり、靴を履いたまま机の上に平気で足を乗せる。

 

それをも真似して良いというのか?

 

言うまでもなく、他国の文化の中には、見習うに値する部分と相容れない部分があるのである。

 

子らが通う小学校では、ピアスの話は初めて聞いたが、既に茶髪金髪は結構いる。

 

どうにもこうにも違和感を払拭できない。

 

パパの育児

 ランキングの続きを見る

このブログに投票

にほんブログ村に参加する