山桜

 

小学校4年生の途中から中学校1年生の途中までの約3年間を名古屋で過ごした。

 

住んでいたのは名古屋市千種区で、千種公園とか今池の繁華街などが近い辺りであった。

 

 

 

私が名古屋に引っ越してきた当時は、まだ市内には多くの市電が残っていた。

 

私が住んでいた辺りでも、都通りという南北方向に走る大きな通りに市電が走っており、よく利用した路線の南の終点は「八事(やごと)」であった(北の終点はちょっとよく覚えていない)。

 

 

 

当時私は、通っていた小学校の野球部に所属しており、野球部には親友のH君も所属していた。

 

親友のH君のお父さんは市の交通局に勤務する市電の運転手さんだった。

 

あるとき、都通りの市電に乗って市の南部の小学校に遠征試合に赴いたのだが、そのとき私たちが乗り込んだ市電のすぐ後ろを追走する市電があった。

 

よく見ると、その市電を運転していたのは親友のH君のお父さんで、お父さんはニコニコしながら軽く警笛を鳴らしたりしてくれた。

 

 

 

しかし実はその頃すでに市電は順次地下鉄に切り替わりつつあった。

 

H君のお父さんも、その後、今池を経由して藤が丘まで延びる新しい地下鉄の駅勤務に異動となっていた。

 

今はもう名古屋市内を走る市電は全廃となっているようだ。

 

 

 

ところでこの親友のH君は、小学校時代まさにオール5を取っていた。

 

彼は高校に入ってからラグビーを始めて頭角を現し、大学でもラグビーを続けてラグビーマガジンの特集記事に写真入りで紹介されたほどであった。

 

 

土曜日早朝のNHK・BS「新日本紀行」の再放送で飛騨のからくり人形の回を観て名古屋の出来町祭りのからくり人形を思い出し、出来町祭りから古出来町の都通りを走る名古屋の市電を思い出し、市電の運転手さんをしていたH君のお父さんのことを思い出した。

 

アラ還オヤジ