認知症を発症している義母(子④(妻)の母親)がわが家に同居している。
その義母は、見ていると一日に何十回となく、靴を履いて外に出たり玄関に戻ったりを繰り返している。
「ちょっと外見てきていいだが?」と断って出ていく場合もあれば、黙ってフラフラと出ていく場合もある。
たぶん外を歩きたくて仕方がないのであろう。
そこには、童謡「春よ来い」(作詞・相馬御風、作曲・弘田龍太郎)に出て来る「あるきはじめた みいちゃんが おんもへ出たいと 待っている」という情景を彷彿とさせるものがある。
それにしても、人間の成長・老化・退行の過程というものはまことに不思議である。
生まれてしばらくは誰しも寝たきりで歩けない。
しかしいつしか寝返りが打てるようになり、ハイハイを経て、遂にはつかまり立ちで二足歩行のデビューをする。
そしてやがてはヨチヨチ歩きが出来るようになり、童謡に出て来る「みいちゃん」のように、おんもに出たい出たいと切望するようになる。
そうして青年期、壮年期を過ごしていつしか老年期を迎えると、足腰は徐々に弱り、一種のヨチヨチ歩きを経て次第に杖などにつかまっていないと立っていられなくなる。
そして気が付くと、寝ながら時間を過ごすことが多くなり、いつしか寝返りも打てなくなって、生まれたばかりの赤ちゃんが枕元に置かれたメリーゴーラウンドを一日中見上げているようにして、天井を見ながら一日中寝て過ごすようになる。
そのようにして幼少期の成長過程を逆に辿っていき、やがてその命を終える。
それは恰も、前半生の映像記録をそのまま巻き戻して観ているようである。
義母の場合もまた、歩けることが嬉しくておんもに出たくて仕方がなかった幼児期の自分に束の間返っているように見える訳である。
案外、認知症老人の徘徊というのは、遠い昔に体験した「歩けるのが嬉しくて仕方がない。」という感情を人生の終わりの段階で無意識のうちに追体験している、一種の幼児がえりなのかもしれない。
もしそうだとすると、義母の徘徊にも相応に切ないものがある。
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