神田駅

 

恋の歌には、駅での風景を切り取って描写したものが結構ある。

 

「昔別れた恋人を偶然向いのホームで見掛けたが、彼が気付かないまま風がきて列車がホームに入ってきてしまった・・・」

 

「彼女が乗った列車が出たあと、ひとりホームに残って落ちてはとける雪を見ていた・・・」

 

 

恋愛の歌、特に出会いの方のそれではなく別れの方のそれに駅での風景を描写したものが多いのは、駅とか列車には、過去とか未練とかいうものを否応なく断ち切ってくれるようなところがあるからかもしれない。

 

あくまでも個人的な印象だが、それらの歌の中には、心に残る名曲も少なくない。

 

とまあそんなことを考えながら「芸能・音楽」関係の乏しい知識を総動員してみたのだが、近ごろ、駅を描写した恋愛の歌にとんと接していない。

 

 

 

思うに、最近の恋歌に駅や列車を扱ったものが見当たらないのは、いわゆる「発車サイン音」の普及と関係があるのではないだろうか。

 

記憶を辿ってみると、昔の駅での発車の合図は、駅員さんが吹く甲高い笛の音であったり、火災警報装置が鳴動したときのような「リーーーン!!」というけたたましいベルの音であったりした。

 

事の良し悪しは兎も角、それらの音には、有無を言わさずに未練を断ち切らせるような雰囲気があった。

 

それは別の言い方をすれば、「グジグジ言ってないで早く忘れてしまいなさい!」と強く背中を押してくれるような効果があった。

 

それゆえ、昔の駅には、恋愛作詞家たちの詩情を掻き立てる何かがあったのであろう。

 

 

これに対し、現今の駅で流れる発車サイン音では、「もうこれでお別れね」とか「・・・さようなら」みたいなイメージは湧きにくい。

 

中には、ビールのCMの音楽とか「鉄腕アトム」の音楽などもあって、逆に「そうだ、ビール飲もう。」「ホルモン食って十万馬力だ!」などと思わせてしまう。

 

 

駅の発車サイン音は、それ自体は大変良いものだとは思うが、詩情を掻き立てにくいのは確かであろう。

 

このごろ駅を扱った恋歌を聞かなくなったのは、いわゆる発車サイン音と関係があるとみた。

 

昭和の中央線国分寺駅

 

呉線経由広島行寝台急行「音戸」

 

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