令和元年の年末の夜の駅
お父さんがこの世に生まれる前の、お父さんの家がまだおじいちゃんとおばあちゃんとマスクの小父さんの3人しかいなかった時の話です。
そのころおじいちゃんたちは埼玉県北足立郡大和町(今の埼玉県和光市)というところに住んでいましたが、その家の近くには小さな川が流れていました。
ところが、昭和33年に関東地方に甚大な被害を及ぼした「狩野川台風」による大雨の影響で、大和町のその小さな川も氾濫し、おじいちゃんたちの家も床上1メートル近くまで浸水してしまったのです。
そのとき、おじいちゃんはまだうんと小さかったマスクの小父さんを両手で高く掲げて運び、おばあちゃんは酸素不足の金魚が水面でパクパクするようにしてかろうじて呼吸しながら水の中を歩き、みんなで必死になって避難したのだそうです。
ところがそのとき、同じように浸水した近所の家の中にお年寄りが1人取り残されていることがわかりました。
それでおじいちゃんは、溢れている水の中を再び引き返し、取り残されていた老人を抱えて救出して戻ってきたそうです。
お父さんは小さい頃おじいちゃんから聞いたのですが、おじいちゃんは海軍で、長い赤い褌を付けて遠泳の訓練を重ねてきたそうです。
おじいちゃんは「わしゃ泳げと言われればいくらでも泳げるぞ。」と言っていました。
それで、その洪水のときもおじいちゃんは率先して救出に向かったのだそうです。
ちなみに、遠泳の訓練で長い褌を付けて泳ぐのは、フカ(鮫)は自分よりも大きな生物は襲ってこないからだそうです。
お父さんがおじいちゃんおばあちゃんと暮らしていた頃、家には古い洋服箪笥がありました。
その洋服箪笥は、下に2段ほど抽斗が付いており、その上は観音開きとなっていて、中にはハンガーを掛ける鉄のパイプが渡してありました。
そのハンガーの少し下あたりの高さのところには、狩野川台風の洪水のときに付いた、水に浸かったことを示す染みが残っていました。
おばあちゃんは、「ほら、見てごらん。ここまで水が来たのよ。」とよく言っていました。
その洋服箪笥は、おじいちゃんが亡くなって、お父さんがおばあちゃんを引き取って2人で暮らすことにした際に、残念ながら処分してしまいました。
その洋服箪笥を処分した当時お父さんは、子どもたちに昔の洪水の話や古い洋服箪笥の話をする日が来るとは思ってもいませんでした。
※おじいちゃんいついてはこちら。こちらも。マスクの小父さんについてはこちら。