猫を連れた女の子の絵。子②元年11月作。

 

 

お父さんのお母さん、つまり君たちのおばあちゃんも、おじいちゃんに負けないくらい優秀な人でした。

 

そのことはまた別の機会に改めて伝えたいと思いますが、その前に、おばあちゃんのお父さんのことについて少し触れておきたいと思います。

 

 

おばあちゃんのお父さん、つまりお父さんの母方のおじいちゃんは、広島県の倉橋島というところで大工さんの家に生まれました(以下、この、お父さんの母方のおじいちゃんのことを「倉橋のおじいちゃん」といいます)。

 

倉橋のおじいちゃんは、田舎の小学校のことではありますが、今で言う生徒会長をしており、とても勉強が出来ました。

 

それで当時、倉橋のおじいちゃんが通っていた小学校の先生がわざわざ自宅を訪ねてきて、「この子は大変優秀だから何としてでも上級学校に通わせなさい。」と何回も説得したそうです。

 

しかし、頑固者だった倉橋のおじいちゃんのお父さんは、「大工の倅を上級学校に行かせてどうすんじゃ。」というようなことを言って全く耳を貸さなかったそうです。

 

ちなみに、実はお父さんも、小学校5年生のときに行われた知能テストの成績が県内でもかなりの上位だったらしく、当時の担任の先生から「〇○、どんなことがあっても大学まで行くんだぞ。わかったな。」と言われたことがありました。

 

さて、頑固者の父親には反対されましたが、倉橋のおじいちゃん自身はやはり都会に出て自分の力を試してみたかったのでしょう、小学校を出るとすぐに神戸に出て行き、神戸製鋼で職工として働き始めました。

 

そして倉橋のおじいちゃんは、同じ倉橋の集落で「小町」と呼ばれていた女性と結婚しました。

 

そうして生まれた長女がお父さんのお母さん、つまり君たちのおばあちゃんであり、「小町」と呼ばれていた人がお父さんのお母さんのお母さん、つまりお父さんの母方の祖母に当るわけです。

 

倉橋のおじいちゃんは職工として採用されながらもめきめきと頭角を現し、若くして職工さんたちを束ねる職長という地位に就きました。

 

そして倉橋のおじいちゃんは神戸製鋼でいくつかの重要な発明をし、会社からも何回か表彰され、上級学校を出た人達に負けない位に出世して行ったそうです。

 

倉橋のおじいちゃんが発明をして神戸製鋼から表彰された記録は、君たちのおばあちゃんの弟に当る人の子ども(お父さんのいとこに当る人)が今も大切に保管しています。

 

お父さんがラグビーで神戸製鋼を応援するのは、おばあちゃんや倉橋のおじいちゃんが神戸製鋼と深いつながりがあるからであり、同じくパナソニックを応援しているのは、三洋電気の時代からずっと同社の株を持ち続けているからです。

 

そのような家に生まれたおばあちゃんも学校の成績が良く、高等女学校に進学して薬専(今で言う薬科大学)を目指して勉強に励んでいました。

 

ところが、おばあちゃんが女学校2年生の時に、倉橋のおじいちゃんが病気で亡くなってしまいました。

 

そのため、おばあちゃんの家はたちまち生活が苦しくなり、おばあちゃんは進学して薬剤師になる夢を諦めざるを得なくなりました。

 

その後おばあちゃんたちは神戸大空襲に遭って家を焼かれ、文字通り路頭に迷うことになります。

 

お父さんは、おばあちゃんから、おばあちゃんの学校時代のことや神戸の空襲のこと、空襲で焼け出されて倉橋島に辿り着き、親戚に身を寄せながら通信教育で正教員の資格を取ったことなど、色々な話を聞きました。

 

それらのことはまた少しずつ伝えていきたいと思います。

 

子②と猫のこと小町のこと。