子①が考えた想像上の恐竜「ぱりらさうるす」。歯に毒があるという。
まだ私が小学生だった頃の春休み、一度だけ、父が生まれ育った瀬戸内の旧軍港の街に連れて行ってもらったことがあった。
父と一緒に港を見下ろす小さな峠に佇むと、眼下には停泊中の海上自衛隊の艦船・潜水艦がいくつも目に入った。
遠くに目をやると、春霞の中、瀬戸内の島々が穏やかに浮かんでいた。
その峠は沈丁花の香りで満ちていた。
だからなのだろうか、秋の今、街を歩いていて沈丁花にどこか似た金木犀の香りに接すると、父と一緒に峠から眺めた瀬戸内の軍港の風景をつい思い出してしまう。
多分、こうして亡くなった後も息子に思い出してもらえることは、父にとってもきっと嬉しいことであろう。
と同時に、亡くなった後でも、とにかく息子がこうして折に触れて父を思い出しているということの意味や本質について、しばしば考えることがある。
十分な親孝行をしたとは決して言えないので、父に対して思いが残っていることだけは確かだが、理由はそれだけではないような気がする。