切り絵(令和元年9月子②作)

 

先日、都心を走るJR線の車内で、ベビーカーに子どもを乗せた母親が子どもを怒鳴り散らしているのに出くわした。

 

原因は子どもがベビーカーの上で立ち上がったことにあったようだ。

 

言葉遣いは、いわゆるヤンキーのような気怠い巻き舌風ではなかった。

 

とはいえ、それはただひたすらに「なんで立ち上がるのよ!」と怒鳴りながら何度も何度も詰問するものであり、聞いていて耳を塞ぎたくなるトーンであった。

 

車内は割合空いていたので、ドア3つ分くらい向こうに居た当該親子の姿が良く見えた。

 

さりげなく見ると、母親はメガネを掛けた小太りの地味な女性であった。

 

確かにベビーカーの上で立ち上がることは危ない。

 

しかし、そのことが誰かの迷惑になったという訳ではなさそうだった。

 

にも拘らず、母親は車両中に響き渡る大声で怒鳴っていた。

 

母親の叱り方・怒鳴り方には、ストレス発散を兼ねた若干鬼気迫るものが感じられ、下手に宥めると逆切れされそうな雰囲気だった。

 

回りの乗客も日光東照宮の「見ざる」「聞かざる」「言わざる」のようにしており、皆さん対応に苦慮されている感じであった。

 

 

現在、子②③は保育園に通っているのだが、それとなく聞いてみると、感情を押さえられない乱暴な子が数名いるようだ。

 

子①も、年長組に属していた頃、同じ年長組の男の子から些細なことで言い掛かりを付けられ、「土下座して謝れ。」「〇○円弁償しろ。」などと大人顔負けの言葉遣いで責められたことがあったらしい。

 

生まれつき乱暴な子や生まれついて言い掛かりを付けるのが得意な子どもなど居るはずがない。

 

してみると、それらの子どもはやはり親の姿を反映しているものと考えざるを得ない。

 

JR線車内の母子を見ながら、いろいろなことを考えさせられた。