儚くも命尽きた令和元年8月のセミ

 

配偶者とは20歳近い年の差がある。

 

従って、子供が4人居るような状態である。

 

この「子どものような大人」すなわち子④については、昔の自分であったならばお付き合いすることはまずなかったであろうと断言できる。

 

まずそもそも、住んでいる世界や交友関係の領域が全く違う。

 

従って、出会う可能性自体がほぼゼロだ。

 

それに万が一面談する機会が訪れたとしても、話して10分で、「こりゃダメだ。世界観、価値観が違い過ぎて分かり合えない。」と感じたはずである。

 

 

しかし、婚活の渦中に身を投じて5年余、婚活市場には、或る中年男の浪花節的半生に興味を示してくれる才色兼備の年下女性など存在しないとわかり、考えを変えた。

 

選んでいては自分自身の時間切れが来る、そう頭を切り換えた。

 

その結果、婚活会社のコンピューターシステムにある種の指令が伝達され、お互い通常であればまず出会わないであろう人間同士を引き合わせる接点を作出した。

 

これがターニングポイントとなり、その後紆余曲折を経て、私は3人の子育てと、1人の「子どものような大人」育てを実践する男となった。

 

勿論、今でも子④の本質は変っていない。

というか、変りようがない。

 

従って、お互いの価値観の違いがあらゆる場面で顕在化する。

 

日々ストレスと闘っている、というのも正直なところである。

 

しかし、人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し、これもまた人生の醍醐味のひとつなのだと、少しずつではあるがそう思えるようになってきた。

 

所詮人間なんて、遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎない。

 

私は遺伝子に操られている蝋人形のようなものだ。

 

これらは全て、生命として誕生して40億年もの長い時間を生きてきた私の遺伝子の見えざる選択なのだ。

 

きっと何か意味があるに違いない。

 

夜中に子どもにミルクを与えているときなど、しばしばそのようなことに思いを巡らせ、今日まで頑張ってきた。