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随筆「人間世紀の光」 札幌夏の陣から50年 の一部抜粋です。
短期決戦の第一の要諦は、「団結」である。
戦いが短ければ、短いほど、気を引き締め、結束しゆくことだ。
私と北海道の同志は、断じて戸田先生の悲願である「七十五万世帯」を達成してみせるとの「弟子の強き一念」で、尊く固く結ばれていた。
広宣流布の戦いで「勝負」を決するのは、人数の大小ではない。誓願を共にした「異体同心の団結」である。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(御書一四六三ページ)
暴虐の限りを尽くした「殷の紂王」の軍勢七十万騎は、八百人の諸侯が結束した「周の武王」の軍に敗れた。
悪辣な紂王に無理やり駆り出された殷の兵士は戦意がなく、武器を逆さまに持ち、周の軍勢に道を開けたという。
ともあれ、周の武王の大勝利は、団結と勢いの勝利であった。
第二の要諦は「スタートダッシュ」である。
陸上のトラック競技は、短距離になるほど、スタートが重要になる。
百メートル競走も、号砲が鳴る、ぴんと張りつめた瞬間に、勝敗の分かれ目がある。
五十年前、札幌駅に降り立った瞬間から、私の闘魂は燃えたぎっていた。
「戦いは、勝ったよ!」
出迎えてくださった方々への、私の第一声だった。
初日からフル回転である。
戦いの拠点となる宿舎に到着した時には、成果を書きこむ「棒グラフ」まで用意できていた。準備万端である。
「先んずれば人を制す」だ。
後手に回った場合、負担も。手間も二倍になる。先制攻撃の場合、手間は半分、効果は二倍である。
戸田先生も、よくおっしゃっていた。
「いくら大艦隊であっても、戦場への到着が遅ければ、スピードが勝る精鋭には、絶対に勝てない」
短期決戦であるほど、戦いは「先手必勝」である。
敵だって苦しい。時間がない条件は同じだ。
先に手を打った方が、必ず勝つ。相手も準備は不十分であり、ここに大きなチャンスがあるからだ。
機先を制した方が、一切の主導権を握り、庶民の心をつかみ、嵐のような喝采に包まれるものだ。
第三に、短期決戦は、中心者の「鋭き一念」で決まる。
私は「札幌・夏の陣」を前に、ひたすら祈り、智慧を絞り抜いた。
具体的な作戦に墓づき、矢継ぎ早に手を打った。
当時は通信手段も限られ、連絡の大半が手紙である。
私は、東京での闘争と同時並行で、寸暇を惜しんで筆を執った。
時間との競争にしのぎを削り、全精魂を傾けて、北海道の友に手紙を書き続けた。
同志の必死の奮闘の一切を勝利に直結させるとの一念で、万全の準備を進めて、札幌に向かった。
戦いの勝利の方程式は、「忍耐」と「執念」である。
「つねに気落ちを知らず、断固たる、戦いをやめぬ人間の魂」――大詩人ホイットマンが歌い上げた、この不屈の闘魂こそ、我らの闘争精神である。
絶対に勝つという一念を燃え上がらせることである。
戸田先生も、「ケンカだって、一つでも多く石を投げた方が勝つよ」と、常に強気だった。
そして、最後は、智慧の戦いである。敵を倒すまで戦い抜く、猛烈なる執念である。
「勝つべくして勝つ」ことが、学会の戦いであった。
リーダーは、どこまでも同志を励ましながら、「勝利を決する厳然たる祈り」で、どこまでもどこまでも、断固として進みゆくことだ。
いずれにせよ、短期決戦は、ゴールまで全速力で走り抜く以外にない。百メートル競走なら、世界レベルの争いで約十秒。
脇目もふらず、力を出し切るしかない。周りの様子などに振り回されては、絶対に勝てるはずがない。
恐れることはない。戦いはやってみなければ分からない。五分と五分だ。勢いがある方が勝つ。強気で攻めた方が勝つ。
中国革命の父・孫文は語った。
「およそ、何事であれ、天の理に順い、人の情に応じ、世界の潮流に適い、社会の必要に合し、しかも、先知先覚者が志を決めて行なえば、断じて成就せぬものはない」
聖教新聞掲載分より抜粋