創価学会は「異体同心の団結」で発展 | 創価三代の誉れ

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力を合わせる 


 創価学会では、さまざまな機会に「異体同心の団結」という言葉が使われます。今回の「人生を生き抜く羅針盤」では「力を合わせる」重要性について確認していきましょう。

他者と協力した経験を重視

 企業の採用試験では近年、学生などの受験者に対して「エントリーシート」の提出を求めるのが一般的です。エントリーシートには、さまざまな質問項目がありますが、中でもよく聞かれる項目に「他者と協力してチャレンジをした経験」や、「他者と一緒に力を合わせて『成果を得た』、または『やりがいを感じた』経験」があります
 企業の採用担当者の多くは、他者と協力して物事に取り組んだ経験が、仕事においても重要だと考えているようです。
 この「他者と力を合わせる」という意味で用いられる言葉に「団結」があります。「団結」とは、多くの人が共通の目的のために一つにまとまることですが、若者の中には「多くの人と一緒に、何かをやり遂げたという経験がない」と語る人もいます。
 また、現代社会は一人一人が孤立し、他者への無関心に覆われているため、「自分一人では何も変わらない」という無気力や諦めが蔓延しているとの指摘もあります。
 2011年3月に発生した「東日本大震災」では、多くの人々が協力して、復旧・復興に取り組みました。そうした中で「人間の絆」の重要性が注目されています。
 目標を掲げて、その達成に向けて努力する時には、自分だけでなく他者との協力が不可欠です。力を合わせて物事を進めることは、万般に通じる重要なポイントといえるでしょう。

“多彩な個性”を認め合う

 日蓮大聖人はさまざまな機会を通して、門下に対して、心を合わせる「異体同心」の重要性を教えられました
 御書の「異体同心事」では、「異体同心であれば万事を成し遂げることができるであろうが、同体異心であれば諸事万般にわたって叶うことはないであろう。このことは、外典の三千余巻の書物にも定まっていることである」(1463ページ、通解)と仰せです。
 そもそも「異体同心」とはどういうことでしょうか。「異体」とは、人それぞれに個性や立場が異なること。「同心」とは目的観や価値観が同じことです。
 「異体同心」とは、多彩な人材が互いの個性を認め合いながら、自他共の幸福の実現、そして平和・安穏の社会を建設するために、仲良く触発し合って前進していくことといえます
 さらに大聖人は、先に挙げた御書で殷の紂王と周の武王の故事を例に、「殷の紂王は、70万騎であったが同体異心であったので、戦いに負けてしまった。周の武王は、わずか800人であったけれど、異体同心であったので、勝ったのである」(同ページ、通解)とも述べられています。
 物事の勝負を決するのは、数の多少だけではありません。目的に向かって、皆が心を一つにすることができるかどうか――。そこに重要なポイントがあります。
 そもそも、幾多の利害が渦巻く現実社会において、皆が心を一つに、目的を共有していくこと自体、大きな困難が伴います。
 さまざまな相違点を持つ人々が同じ目的に向かっていくためには、人類や社会への貢献、繁栄といった個人の利害や枠を超えた崇高な目的観に立つことが不可欠です。一方、低い目的観を持った者同士は、すぐに野心や利害で結びつき、野合します。大聖人が「悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1463ページ)と仰せのように、悪に打ち勝つためには、善の連帯を広げていくことが重要です。
 ゆえに大聖人は、民衆の幸福のために、また、平和と安定のためという崇高な目的観に立ち、同志が団結することを強く訴えたのです。

一人一人を生かす仏法の智慧
最極の「人間共和の世界」

 大聖人は別の御書で、「総じて日蓮の弟子檀那らが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通する所詮はこれである。もし、この通りになるならば、広宣流布の大願も成就するであろう」(同1337ページ、通解)と仰せです。
 すなわち、相対立し、排斥しあう心がなく、互いをかけがえのない存在、自分にとって不可欠な存在として大切に思う――そうした心を一つに互いに助け合うさまが「異体同心」なのです
 大聖人は、短気で一本気な弟子の四条金吾が、同志と思われる夜回り(警備)の人たちと協調できないことを心配し、「いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」(同1172ページ)と指導されています。個人的感情や好き嫌いに左右されることなく、同志を仏のように敬い、団結していくことの重要性を教えられたのです。
 一方で団結が強調されると、ともすれば、「個人」や「個性」は押しつぶされて埋没してしまいますが、大聖人が教える「異体同心」は違います。

 仏法はどこまでも一人一人の可能性を信じ、万人に仏性があると説きます。あくまでも全ての個性が重んじられ、磨き合い、生かされていく団結の姿こそ、大聖人のいわれる「異体同心」にほかなりません。
 麗しい「異体同心」の集いの中でこそ、個人も個性も輝きを増すといえましょう。
 学会では自身の使命を自覚した多くの同志が、社会のあらゆる分野で活躍しています。一人一人の可能性を信じ、広宣流布という崇高な目的観に立って進んできたからこそ、学会は世界192カ国・地域にまで発展したのです。

 池田名誉会長は語っています。
 「団結に勝る力はない。妙法で結ばれた連帯は、この世で最極の人間共和の世界である。『イタイドウシン(異体同心)』そして『ビクトワール(勝利)』は、今や世界の同志の合言葉だ。あらゆる国で、創価の友が心を一つに青年学会の勝利を祈ってくれている。心を合わせ、スクラムも固く、広宣流布の大願へ、いよいよ前進しよう」と。
 徹して一人を大切にし、あらゆる人々を生かしていく「異体同心の団結」は、先行き不透明な現代社会を勝ち抜くための、重要な仏法の智慧なのです。



理解のために
「創価学会の組織」とは?

 創価学会の戸田城聖第2代会長は、創価学会の組織について「戸田の命よりも大切な広宣流布の組織」と語られていました。
 「組織」というと、個人の自由がなくなり、束縛されるイメージを抱く人もいるかもしれません。しかし、私たちは日常生活でも、さまざまな「組織」に所属しています。組織とは、人と人とが互いに織りなして存在するものであり、私たちの人生は、人との関わりなくして成り立ちません。特に信心の世界では、学会の同志との関わりを避け、一人だけで信心を行うと、いつしか“自己流”になり、正しい仏法実践の在り方から外れてしまいます
 日蓮大聖人は「仏になるみちは善知識にはすぎず」(御書1468ページ)と説かれています。「善知識」とは、仏法を実践する人の成仏をもたらす存在であり、友の成長を願い、励ましを送る学会の先輩や同志に当たります。
 学会員は日々、勤行・唱題や教学の研鑽に個人として取り組むとともに、組織の中で同志と共に仏法対話や訪問激励を行うことで、自身の仏性も開かれ、一人の人間として成長していけるのです。学会の組織こそ、人間としての成長を促す最良の場所なのです。

このシリーズは今回で終了です。

次回から「御書に説かれた日蓮大聖人の励まし」を連載します。

ただ今準備中です。またの訪問をよろしくお願いします。