ここには何の差もない
中学生時代に強烈にいじめられた経験を持つ私だから言える

政府の発表によると、この一年の不登校生徒数は12万人
いじめを認知し報告された件数は25万件にのぼるという

これはあくまで報告された数なので、もちろんこの数字は増加側にあるのが真実の姿だろう

私は入学当時は、明るい性格と恵まれた身体能力から、いつもクラスの中心にいるような生徒であった
しかし、本の些細なできごとから、私を取り巻く空気は変わっていった
例えば、体育の授業でかっこ悪いこけ方をした。文化祭の催し物を決める時に、不用意な発言をした。

一番最初の日には、上靴が捨てられた。
朝それを確認した時には、本気で自分が前日何処かにおき忘れてしまったのかを考えていたがその可能性があり得ないことに考えつくと、私はもういじめられっこの側に立ってしまっていた。
クラスじゅうの、いや学年じゅうの全員が信じられなくなり、世界に味方などいないような
孤独な感覚に支配されて行った。
ここで、この日に何もしなかったことが、この先二ヶ月間の壮絶ないじめの日々を作ってしまうことになる。

おわりは、いじめを先導していた生徒の上靴をそいつの目の前で投げ捨てて、授業中にいきなり立ち上がってみんなの前でそいつをぶん殴ることで終わるのだが、もし、その一番はじめの日、その日に行動を起こしていたら、あんなに苦しむことはなかったのだと、今では悔しい思いになる。

それからの二ヶ月間は、なぜこうなってしまったのかをひたすら自問自答する時間になる。
これは言い切れるのだが、絶対にいじめられている子は悪くない。しかし、個人ではいかんともし難いような空気の動きに、子供は全く逆らえない無力なものであり、いじめている本人ですら、なぜいじめているかを全く理解していなし、もちろんいじめられている子が考えたところでその答えにたどり着くことは絶対にない。

机が黒板消しの白いチョークの粉で真っ白にさせられ、上には死ねと大きく書かれている。机の中の教科書は水でぐちょぐちょになって使い物にならなくなるし、上靴どころか、登下校用の外履ですら片方づつなくなって行く。男子だけでなく、女子にもその空気は感染していて誰も私と話そうとはしないからともだちもおらず、なぜ学校にくるのか、なぜ生きていなければならないのかを考えるだけの日々が続く。

わたしは、我が子が進学校に通っているという誇りを持っている母のため、我が子がいじめられていると知れば、本人以上にショックを受けると容易に想像がつく繊細な母のために、いじめっ子をぶん殴る勇気を持てた。

そこには、何の差もない。もちろん、優劣の差など全くない。
もし、いじめられている子がこの文章を読んだのなら、素手でも、金属バットでもいいから、実際に殴らなくてもいいから、そのいじっめっこの前に立って、覚悟を決めた目を見せればいい。

それだけで、すべて終わる。