俺の名は銀。謂れは知らないが、母の好きな人と同じ名前らしい。

それだけで俺にとっては大切な名前だ。

たとえ母が俺の本当の母親ではないとしてもだ。


   生まれて間もなく今の母と父に引き取られ、俺は山田家にやってきた。

   その時は大きな見知らぬ大人に抱き上げられている恐怖と不安を感じていたのを覚えてる。だから俺と同じ小さな生き物に出会えたときは嬉しかった。

   俺より毛がうんと少なくて寒そうだったから隣に居てやったのを覚えてる。大智、って母が教えてくれた。俺の新しい兄弟だと。

   俺は小さな生き物同士ということで大智と凄く仲良くなった。楽しい時も、悲しい時も、怒られる時もずっと一緒だ。

   だけど、大智は毛と同じく、成長も俺より遅かった。大きさはあっという間に抜かされたが、俺が1人でご飯を食べられるようになっても、まだ母に食べさせて貰っていたし、俺がトイレの仕方を覚えても、まだ母にケツを拭かれていた。

   大智の成長が遅い事は母にも解っていたみたいで、俺はよく「大智と遊んであげて」とか「大智の面倒を見てて」と頼まれた。だから俺は大智を弟だと思っている。

   可愛い弟を守るのは兄の使命みたいなものだ。野良犬に追いかけられたときも助けてやったし、迷子になったときも連れて帰ってやった。その頃には大智の方が俺より大きかったが、泣き虫で甘えん坊で……心はまだまだお子ちゃまだった。


   大智と俺が兄弟じゃないと気付いたのは、その頃だ。大智がやっと一人で食事が出来るようになったとき、母は大智にスプーンというキラキラ輝く棒を与えた。大智にだけ与えたことが悔しくて腹が立って、俺はそれを奪った。大智は泣いて、母は怒った。初めて一人で怒られてショックのあまりその日から食事が楽しくなくなった。

   大智はお子ちゃまだから俺の気持ちなんて分かるはずもなく、いつも通り楽しく遊んびはじめる。一緒に遊ぶ気にはなれなくて、遠くからみていた。

   そして気づいた。大智と俺は全く違うんだと。

   大智は頭しか毛が生えてないが、俺は全身に黒い毛が生えている。大智は顔の横に耳があるが、俺は頭についている。大智にケツから生える毛がないが、俺にはある。

   大智は人間で、俺はネコだったんだ。

   ネコはスプーンを使わない。


   自分がネコだと気付いたときはかなり混乱した。大智と違うことを飲み込めるのにだいぶかかった。俺的にはだいぶだ。大智たちにとっては1日も経っていなかったと思う。

   だが理解してからは自由な生活を謳歌することにした。大智の面倒を途中でやめても母は怒らないし、好きな時に好きなだけ寝ても怒られない。

   大智も、お子ちゃま時代は無理矢理遊ばされたが、学校とやらに通うようになってからはこっちが擦り寄らならない限り手を出してこなくなった。

   そしてランドセルとやらを使うようになってからは、大智が俺のご飯係になっていた。最初の頃は忘れられることもあったが、催促をこまめにしてやったお陰で忘れられる事はなくなった。体もどんどん逞しくなって父に似てきた。それはちょっと羨ましいが、学校とやらに行かないだけ俺の方が楽だ。だって大智は朝になるたびに行きたくないと叫んでいる。そんなところ人間になってもごめんだ。


   それにしても大きくなった。もう大智は中学生とやらになるらしい。俺は人間の数えで13年も生きている。かなり生きた方だ。桜も海も紅葉も雪も見飽きるくらい見た。どれも綺麗でいい思い出だ。なんていったって必ず大智がいてくれたからな。

   だけど、もう、終わりだな。

「銀。大丈夫か?出かけるのか?」

   俺がいつも出入りしている窓を開けると、テレビを見ていた大智が寄って来た。

[ああ。ちょっとそこまで行ってくる]

「ダメだろ。もう年なんだから危ないだろ」

    大智が窓を閉めて俺を抱き上げた。

[大丈夫だ。こんな年寄りを今更襲う獣なんていない]

「じいちゃんなんだから無理するな。ほら、もう寝てろ」

   大智は俺を囲いの中に入れると毛布にくるんで寝床に横たわらせた。柵に鍵をかけられる。いつもはしないくせに。

「なあ。ここに居てくれよ。最後までさ。母さんも悲しむし」

[母だけか?]

「まちろん親父も……深酒して体壊しちまうぞ」

[それは困る。母は父を愛してるからな。体を壊させるわけにはいかない]

「だから最後はここで迎えてくれ。俺は平気だけど、母さんたちのためにさ」

[そうか……大智は平気か……]

   その割には猫の習性をよく勉強したな。勉強嫌いなくせに。そうやって強がるなんてまだまだお子ちゃまってことだろう。

「…………ごめん、ウソ、俺も、つらい」

   あーあ。我慢してたくせに泣きだしやがって……嬉しいことしやがるな。

  最高だったよ、大智。最高の兄弟だ。だけどそんな泣き虫小僧を残していくなんてな……俺も、人間だったら良かった。




「そこでプツンって俺の記憶は途絶えたわけだ。そして目覚めたらこの状態よ」

「…………」

「嬉しくねえのか、兄弟!」

「ぜんぜん!!」

   大智はそう言うと俺の頭を叩いて来た。昔だったら死んでいたが、今は平気だ。

「好きなだけ殴れ!もう死んでるからな!」

「銀はそんな猫じゃない!!」

   そう。俺は死んだ。猫として13年間の生を全うしてな。だが第二の人生が用意されていた。

「俺は猫じゃねえ、猫又だ」

   妖怪としての生がな。

   なんでこんなことになったかなんて俺にはさっぱりだ。考えられるのは大智が泣いたことだが……果たして神の奇跡と呼ぶべきか、悪魔の呪いととるべきか悩むところだ。

「とにかく。生きてる以上は側にいてやるよ。母も父もお前も守ってやるさ」

   家族を守るのは長男の務めだからな。

「……」

「なんだ?」

   大智が突然黙っちまった。黙るのは考えてるときなんだが、いったい何を考えてるのか予想できない。

「銀」

「あ?」

   見上げて来た顔は記憶が途切れる寸前の泣き顔と同じだった。何がいけなかった?妖怪になったことか?

「俺は、まだお前といれて嬉しい。でも、お前は?妖怪になって……嬉しいか?」

   やっぱりお子ちゃまだな。バカなお子ちゃま大智くんには言葉で知らせなきゃ通じないらしい。

   仕方ないから伝えてやるよ。せっかく同じ言葉が話せるんだ。使わなきゃな?だろ?



「嬉しいに決まってんだろ」



  やっと大智が笑ってくれた。



end