佐々木茜はベッドに寝転んでスマフォを弄っていた。見ているのは茜の好きなブランドのオンラインショップだ。早咲きの桜で春の訪れを感じ、新しい春物の服を探していた。

「ん~……この桜のワンポイントもいいけど、欲しいのはブラウスじゃないんだよね~……流行りものも一つ欲しいような……ん~どうしようかな~☆」

 パタパタと上機嫌にマットレスを叩く音がピタリと止まった。

 同時に画面は桜の代わりに緑の受話器マークを映してブルブルと震えだす。中央には昔の同僚兼今友の名前が出ていた。

「こんな時間に?……はーい」

『もしもし、アカネ?』

「うん。どうしたの?」

『茜ってさ、植松先輩のこと覚えてる?』

「覚えてるよ~。確か、あれだよね……サブチーフ?だったよね?美人の?」

『そう。その植松先輩』

「が、どうかしたの?」

『実はね…………  自殺、したんだって』

「え?」

『ビックリだよね。それで葬儀が明日あるんだけど、来れそうだったら来てよ。場所は後でメールするから』

「う、うん」

 電話の切れる音を聞きながら茜は今しがた友人に聞かされた言葉を反芻していた。

「自殺……?」

 茜の頭に浮かんだのは天真爛漫な笑みを浮かべた植松先輩だった。植松先輩は、茜が最初に就職した会社でお世話になった先輩の一人だ。広告関係の仕事で、その会社では営業、プログラマー、デザイナーなどがチームを組んで一つの案件に対応していた。茜は営業の一人として、植松先輩はプログラマー兼そのチームのサブリーダー的役割で同じチームにいたことがある。植松先輩と話すのは専らリーダーとなった営業の先輩だったので、茜は直接話したことはほとんどない。でもミーティングで何度も顔を合わせたら励ましてくれたり、たまに見かけたら声をかけてくれたりと優しく接してもらえたことは何度もあった。

 茜には、優しくて尊敬できる植松先輩が自殺するほど悩む姿など想像もできない。

 いったい何がそうさせたのか、何も浮かばなかった。

「どうして……」

 茜は目に涙がたまってくるのを感じて、流れる寸前でグッとこらえる。

(何もできなかった私に、泣く権利なんて……ない……)

 でも、もし、相談してくれていたら……そんな考えが浮かんだ。

(『あなたに死なれたら悲しい』そう伝えたら、植松先輩は踏みとどまってくれたかもしれない。そのあとちゃんと病院に連れて行ったら、元気になったかもしれない。ずっと傍にいて支えてあげたのに、そしたら死なないですんだかもしれない。もし……)

 いろんな可能性が茜の頭の中に浮かんでは消える。そして最後には、どうして相談してくれなかったのかと、そればかりになり、悔しさで再び視界が滲んだ。

(!?ダメダメ!そんなこと考えたら!私が鬱みたいになってどうすんの!)

 自分の考えを振り払うように、茜は急いで別のことを考えようと試みる。思い出したのはカウンセラーが患者に引きずられて鬱になっていく話だ。もしもの世界を想像して悩んだところで、変えられやしない。だから、次は自分を励ます言葉を考えた。

(例え、自分が近くにいても、きっと結果は変わらなかった。周りにいた人は最善の手を尽くしたはずよ。それ以上のことが自分にできるわけないじゃない)

 茜は再びオンラインショップページを開く。指の動きに合わせて画面には様々な洋服が映し出されている。しかし、茜の頭はまったく切り替わらなかった。

 自分を責める言葉と励ます言葉が交互に浮かんできて、前に進まない。そう、

(止まってる……これじゃあ、過去の事ばかりじゃん。振り返ってばかりで進んでない。進まなきゃ)

 茜はスマフォをいったん脇に置いて考えた。

『進む』には、どうすればいいのか。

「『もしも』は過去よ。できなかったことよ。考えても、妄想しても、ただの自己満足だわ。そんなことをしても植松先輩は帰ってこない。帰ってこないどころか、ただ死んだだけよ。何かを、進めなきゃ。植松先輩の死を、ただの『出来事』にしたくない……」

 『教訓』、なんて言葉を使うのは失礼なのかもしれない。でも、ここで『止めた』ままにしたら、また同じことを繰り返すかもしれない。同じ後悔をするかもしれない。それは、つまりまた知っている人が亡くなってしまうということだ。茜は、それは嫌だと強く思った。

 どうしたら次、同じように自殺する知り合いをなくすことができるのか?

 茜はこの問いが浮かんで初めて一番大切なことに気が付いた。

「……植松先輩は、私に、相談してくれたんだろうか……」

 そもそも、それほど親しくなく、知っている程度の間柄で、さらに年下の後輩である自分に、彼女は相談してくれたのだろうか?

 茜はこれまでの交友関係についても振り返った。

 友達は少なく、深く、をモットーにしている茜は、自分で『友達』と呼んでいる人たちが少ない。同じ会社の元同僚でも、今回電話をしてくれた彼女以外とは転職してから一度も会いもしないし話もしていなかった。それは茜が大切にできる人数の限界を決めていたからだ。

 それ以上とは深く関わらないことで自分を守っていた。でもその境界は誤りだったのだ。

(私は、植松先輩の死でも、こんなに辛い。きっと、今まで『知り合い』にしていた人が死んだって聞いたら、同じように辛くなる)

 茜が自分を守るために引くべき境界線はもっと広かったのだ。『知り合い』にすらなってはいけなかった。でも、そんなの無理だ。生きている以上、生活するために働く以上、『知り合い』はどうしても多くなる。

「バカだな……限界なんて、決めるだけ無駄だったんだね」

 確実に超える限界に拘るなど、バカバカしいと、茜は自嘲した。

 だったらとことん大切にするしかない。

「できるだけ、たくさんの人に、頼られる人にならなきゃ」

 泣きたくないなら。

 悔しく思いたくないなら。

 辛いのが嫌なら。

 近くに居れる存在になろう。

「辛いなら、そうするしかないじゃん!」

 もう泣きたくない。

 もう悔しい思いをしたくない。

 もう辛いのも苦しいのも嫌だ。

 だから、茜は強くなると決めた。

「ありがとう。植松先輩」

 茜の時間が動き出す。

 まずは、明日の葬儀で会った元同僚たちと話すところから始めようと。

 

 

END