ムカシ企業で働いていた頃の事なんだけど

 

ある時同僚の イクちゃんとキヨミちゃんが 将来スーパーで洋服を買う様な生活は嫌だなぁーと話しているのを 小耳に挟んだ

 

えっ、そうなの?

 

何かにつけて鈍感だったわたしは そういうものかと思っただけだった

 

 

その後 結婚して子どもが産まれてからは

 

当たり前に 東急ストアやヨーカ堂で

 

子ども服を買い ついでに 自分の服も買っていた

 

平成の初めは

 

ネットが普及していないし 実店舗も都内には しまむらも西松屋も無かった

 

 

デパートの子ども服は高くて 周囲の裕福な家庭でも お下がりを 融通しあっていた

 

 

子どもに着せるのが 食べさせるのと同様に 大変だったんだ

 

 

 

そこで どうでも良いちゃあそうなんだけど

 

 

最近洋服屋さんて ないよね

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日 新緑を求めて等々力渓谷に行ったんだ

 

ゴルフ橋のところから川ぎしに降りて 川沿いに進んだんだが

 

そこの道が凄く狭くて人がやっとすれ違える位の幅しかなかった

 

わたしは山側(土手)の方でまだよかったんだけども

 

川側を歩いている人たちはちょっとふらついたりしたら 川に落ちてしまいそうな道幅しかなくて 歩くのがとても怖かった

 

 

そんな道でも

 

何故か 早足歩きで 進む人々

 

この前の中目黒のお花見の時にも 感じたんだけど

 

そぞろ歩きとかは全く出来なくて 人の流れに沿って歩くと

 

 

「行進」それも軍隊の行進みたいな気分になって来る

 

 

短い足を高速回転して 何とか行軍クリアしたが はぁ、疲れるわ

 

 

数十メートル行くと道幅も広がり 相変わらず早歩きながらも

 

 

今まではパスしていた 古墳(登った!風が心地よい)や横穴墓も見学できて良かった

 

 

 

等々力渓谷は倒木で何年も閉鎖していて

 

ようやく再開したので 混んでいたけど 新緑の渓谷を歩けて

 

良かったなぁ〜

 

 

 

ゆっくり歩けたら

 

もっともっと良かったなぁ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日前に日経で気になるコラムを読んだ

 

探してもう一度読んでみた 

 

 

4月15日夕刊 コラム名「プロムナード」で

 

記事名は「トラウマとニ次加害」詩人の文月悠光さんが書かれています

 

 

わたしの弱い読解力なので 間違っていたら申し訳ないのですが

 

ーー心を抉る様なニュース等に触れると 全身がフリーズして動けない

 

過去の嫌な記憶が浮かんで思考が停止 リフレッシュすら出来ずに眠れないーー

 

 

*文月さんのトラウマが原因不明な為 きっかけになった話題とは 直接に結びつかない

 

 

*付随して過去のネガティブ記憶が次々に蘇って苦しい

 

 

 

分かりにくいけど

 

わたしの今の状況って コレなんですよ!

 

記憶の底に封印したであろう あらゆる暗い記憶が蘇って 眠れないし 

 

時には 飛び起きることもある 些細な事で感情が大きく揺さぶれて苦しい

 

そして そのきっかけが あらゆる所に潜んでいる

 

 

 

こうなった原因は見当がつくし どうしたら良いのか? アドバイスが欲しい

 

 

 

実は 歩いて行くのも辛くなって 精神科の通院を止めてしまっていた

 

もう見栄をはっていられないので 地元の精神科クリニックに行こうとして

 

調べてみた

 

 

一般に精神科の口コミは荒れると言うが

 

「端からあなたはこう言う人だと決め付けられた」

 

「あなたがそうだから 周りの人がそうなる」

 

あ、これはわたしも経験しているからありがちかも

 

 

でも、

 

 

「先生の服装が原色で落ち着かない」

 

「先生の貧乏ゆすりが激しくて話が入って来ない」

 

 

服装は確かに白衣を着ない精神科医は多いけど、、、

 

 

 

怯む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前に駅で電車を待っている時に 

 

近くにいた男の人が 音楽に合わせて身体を揺すりながら

 

自分の太腿を パシンパシンと激しく叩いていた

 

 

やはり 人が人を叩く音を聞くと(この場合は自分を叩く音)

 

ハッとして身構えちゃいます!

 

身体を揺すり メロディを口ずさみながら パシンパシンは

 

少し怖くもあり 距離を置いておこうと思わせる程だった

 

 

 

一体何だったのか?

 

自閉症の人の自己刺激とは ちょっと違うし、、、

 

 

 

さて 今日は遠くの商店街まで行って来た

 

YouTubeを見たら お店の数が凄く多くて楽しそうだ

 

 

乗り慣れない電車に乗って 目新しいショップを覗いて

 

雑貨を買ったりしながら 少し休憩してから帰ろうと

 

チェーンのカフェに入った

 

ふぅ〜と座ると 大きな話し声が聞こえる

 

でも 周囲には一人掛けの人しか見えない

 

 

幻聴だ、と思った

 

間に歯軋りの様なギイギイという音も聞こえて来た

 

 

はっ、斜め前にいる人が 身体を左右に大きく振りながら

 

本を読んでいるではないか

 

音読か?

 

身体を揺すって本が読めるのか不思議だが

 

ドリンクは 持ち帰り用のカップなので大丈夫か

 

ええと 何というか 一人芝居的な?

 

 

はてな?

 

 

考えながら家路について

 

家に辿り着いてから 落ち着いて考えたら

 

トゥレット症候群では? と気付いた

 

 

あ、そうか このまえ駅で見かけた人も

 

チックだったんではないか?

 

 

以前なら すぐに分かったのに

 

児童精神科や小児神経科では よく見かけたからね

 

 

軽微な脳の問題で誤解を招く事もあるんだろうなぁと

 

わたしの忘れっぽさや無知やらを

 

大いに反省した出来事だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に療育に行った時に 私たちの前に来ていたお子さんを見ていたら 全く普通のお子さんだった 構音障害で来ているのかと思って いずれ卒業するんだろな いいなと思っていた

 

なので先生に 

 

「〇〇君は健常で羨ましいなぁ〜っていつも思いますよぉ」

 

と言ったら 先生が

 

「えっ あの子はあの子で問題があるから」「そうでなければここには来ませんよ」と身も蓋も無いことを言う

 

 

一体何だったのか分からなかったままだが

 

療育にしろ幼稚園や学校に行っても

 

知的な遅れが無いどころか

 

知的には普通以上の能力がある お子さんと一緒になると

 

 

羨ましいなぁ〜と言う気持ちになる

 

 

お母さんと普通の会話をしていたり ちょっと簡単なやり取りをした時に 適切な返事が返って来たりすると

 

もう 心が温かくなっちゃうんだよぉ

 

 

それが 

 

 

年齢とともに 段々と お母さん達が言う

 

「普通級に言ったらいじめられちゃう」とか「人の気持ちが分からない」とか「国語の長文が全く出来ない」とか

 

言ってる意味が分かる様になって来た気がする

 

 

とは言え

 

やはり 変わっている人で 変な事をしでかして 親を慌てさせても

 

知的な遅れがないと

 

困り事が少ないから 羨ましいなぁと思う

 

 

知的な遅れで何が問題かと言うと

 

言語力」に尽きる

 

概念の習得ができるのと

 

そうでないのと

 

大きく違う

 

それって 言語が基盤にあるから

 

言葉って大事なんだと痛感する