不運はその人の中に内在しているもの(性格や考え方)が、結果として現実に現れるもの=自分の蒔いた種説
以前の記事にも書きましたが、私も半分は同じ考え方です。
そもそも性格や考え方を形成する因子は何なのでしょう?生まれつきとか、育った環境などに落ちつくのではないでしょうか。
でも生まれ持つものや、育つ環境なんて選べないわけで、そう考えると自分のせいではない=誰が蒔いた種なんだ???
と頭の中が混沌とした状態になるのです。
いくつかの考え方としては
・輪廻転生の因果応報
それと近いけれど
・生まれて来る時に、今世のお題を自分で選んできた
この辺なら、自分で蒔いた種ってことにもなりますが。
私は生まれる前や死後の世界、生まれ変わりについては、あったらいいなとは思うけれど正直分からないので、自分が分からないことは信じ込めないタイプです。
とはいえ、魂というか人間が肉体だけの存在ではないとは思っています。
だからぐるぐる考えてしまい、命術研究にのめり込みました。
よく「占いなんて信じない」「幸運と不運は自分次第」「占いは良いことだけ信じる」と言う人もいます。
四柱推命などの命術的な視点から見ると、その考え方がすんなりできるのも、日干に力があったり、五行バランスが整っていたりするからこそとも言えちゃいますが、これはこれで良いと思います。
自分に力があれば、人生の問題を自分の力を中心に乗り換えられます。
五行バランスが整っていれば、バランスの良い考え方がスムーズにできるし、周りからの援助も得やすい。だから占いはその人にとっては本当に必要ないだろうと思います。
でもそれ以外の人は、人生の問題にぶつかった時や、自分を変えたくてもなかなか上手くいかない時、不運だなと感じる時、
自分の立ち位置確認として、命占はないよりあった方が断然良いと思います。
四柱推命の命式には、性格や考え方の特徴もバッチリ出てるし、どんな環境に置かれやすいかも面白いくらい分かる。
性格は遺伝的要素もあるけれど、親子でも全く似てない場合も多いし、似てる点は親や祖父母の命式を見ると「なるほどな」な共通点があるのが分かる。
もちろん後天的に努力して変えていける部分もあるけれど、
変わりたい→努力→変われない
こんな時は、行運が向かい風だったりする。
変わりたい→努力→変われた
こんな時は、行運が追い風だったりする。
行運とは、時の流れによって変わる運です。向かい風の時にはなかなか結果もでないものです。
そんな時、自分が向かい風の中にいる事を知らないと、もともと性格に根気がなかったり、考え方が後ろ向きな人は、やっぱり自分はダメなんだーって諦めちゃったり、自暴自棄になっちゃったりするわけです。
有名画家のピカソとゴッホ。
ピカソは、画家の才能だけでなく商才もあり生きているうちに最もお金を稼いだ画家だとか。
でも、ゴッホは生きているうちに絵が1枚しか売れなかった?とも言いますし、耳を切り落としたり、最後はピストルで自分を撃った?と、何かと大変な感じがします。
同じように、画家としての才能があってもこの明暗を分けるものは何なのでしょう。
こんな例は、昔からたくさんあるわけです。
飛行機を発明したライト兄弟、皆んなが知っていますよね。
でもライト兄弟が「有人飛行実験」を成功させる12年前に、無人とはいえ「飛行実験」を成功させていた日本人もいる事を知っている人は、世界規模で見たらほんの一握りでしょう。
その日本人の名は二宮忠八。今でいうとラジコンみたいな大きさレベルの飛行物体でしょうが、エンジンも簡単には手に入らない時代、飛行機を作る為の 物資や情報も豊かとは言えない昔の日本でと考えるとすごいなと思います。
ウィキペディアより引用
陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ三度行なうも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。
この時、軍の支援が受けられていたら?
もしかしたら世界初の有人飛行は日本人が成し遂げていた可能性もゼロではありません。
ゴム動力の飛行機は1871年にすでに、フランスで飛行に成功しているようなので、二宮忠八が世界初というわけではありませんが。
彼はゴム動力の飛行機に次いで、人間が乗れる飛行機を製作したいと志しながらも、それを叶える社会的な運、金銭的な運に恵まれなかったのは事実です。
ライト兄弟も二宮忠八も有名になる為に、飛行機作りにのめり込んだわけではないだろうし、有名になる事だけが幸せでもありません。
でも、同じように空に憧れ純粋に飛んでみたいと思った人間の人生を分けるものとは?
命占を研究すればするほど思うのは、明らかに今生きている自分の意識を超えた次元の何かにも、自分の人生はコントロールされているということ。
だからって操り人形ではないから、ちゃんと自分の意思でも人生の舵を切らなければいけないのですが、
本当の自分が求めていない方向や、自分には向かない方向、自分が幸せに生きれない方向に舵を切っている人も多いと思います。
そうさせるのは何でしょう?それこそが性格や考え方の癖でもあるわけです。
性格や考え方の癖が不運を呼ぶのか?
不運な日に生まれたから、その性格や考え方になるのか?
卵が先か鶏が先か…
どちらも正しいいけれど、それだけでは行き着く答えに限界があると思うのです。
幸運と不運を分ける要素はひとつではなく、
その日に生まれたという宿命的なもの。
性格や考え方の癖など内因的なもの。
個人的に持っている時の運や、取り巻く環境、社会情勢などの外因的なもの。
そして、「時の人」「時代の寵児」なんて言葉がある一方、「生まれる時代を間違えた」という言葉もあるように、
その人の個性や才能が発揮されるタイミングと、その時の環境、社会のニーズが合わなければ、花を咲かすことができないわけです。
内因的なものと外因的なものを包括するのが宿命。
だだ宿命に包括されているとはいえ、全て変えられないわけでない。
内因的なものは、補ったり、伸ばしたりして改善できる。
外因的なものは、良い時を知ることで準備、悪い時を知ることで対策できる。
生まれてきた以上…。
自分の力だけではどうにもできない事があると言うことを受け入れてたうえで最善を尽くす。
人生は不平等なのがデフォルト、自分に配られたカードの中でベストを尽くせた人が、勝者になれるゲームのようなものかも知れません。