前回、大多喜のぼろ宿「大家旅館」を紹介しました。
今回佐原に訪れましたので、「木の下旅館」について書きます。
こちらはテレビの「ぼろ宿紀行」でも紹介された旅館ですが、
現在は食堂になっています。
旅館時代の写真
現在の写真
佐原というのは小江戸とはいっても城下町ではなく、
利根川水運で栄えた商業の町になります。
「木の下旅館」も商人宿として栄えた歴史があると思われます。
この宿で欠かせない写真が、
手りゅう弾消火器です。(おふろ案内の左の箱)
創業は明治34年(1901年)の築と言いますが、
実はそれ以前から船宿を営んでいたらしく、
佐原でも最も古い歴史をほこる旅館の1つです。
佐原の観光大使
伊能忠敬さんのご自宅に向かう途中に
都会への憧れで名をつけられたような
カメラ屋「三越ビル」がありました。
今回訪れたところ
更地の駐車場になっていました。
数年前に
ご近所の○川さんと潮来祭りの帰りに寄ったときには
ビルのオーナーの告知の紙が貼ってあり、
ビル活用のリノベのアイデアを広く募集しており、所謂コンペ。
「資産家」の地域貢献への取り組みへ気込みを感じました。
それが更地に様変わりし、
所有者の心変わりと思いネットで調べていくと
次のような記事が
エコノミストオンライン(2023.8.23)に
香取市長名で掲載されていました。
国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている佐原の町並みに、
放置されていた危険なビルや空き家があった。
観光客を危険にさらし、景観も損ねているため、危機感があった。
他の地域でも、危険な建物について継続して対策を実施している。
と、空き家対策を積極的に進めているとのこと。
私の憶測ですが
ビルオーナー(資産家死亡) → 相続税物納
市有財産 → 競売 → 一等地につき業者落札
このような流れを想像しました。
10年前に比べ、
忠敬橋の脇の
無機的な事務所ビルの外装をレトロに変えたり
民家はサッシ窓が隠れるような工夫をしたりと
観光客を呼び込む工夫がなされた川沿いに変容してきました。
とはいえ、寒々しい駅前にはかわりません。
特に閉店したデパート後を含め、空地の虫食い状態。
朝夕の学生の通学の姿が見られる時間帯以外は
ゴーストタウンです。
取り残された路地には
まだまだ昭和のにおいを感じさせるものがあり、
廃墟へとなりつつ街並みを見ることができます。
15年前、AKB48がPVで自転車にのり
この道を走りました。(言い訳Maybe)
PVの一場面から。 自転車の一団がAKB48です。