企画は今村昌平

監督が原一男

 

あらすじは、(WIKI)

奥崎謙三第二次大戦中に召集され、日本軍の独立工兵隊第36連隊の一兵士として激戦地ニューギニアへ派遣されていた元日本兵。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか100名。かつて自らが所属した第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。すると、生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる。元隊員たちは容易に口を開かなかったが、奥崎は時に暴力をふるいながら証言を引き出し、ある元上官が処刑命令を下したと結論づける。この間、元兵士の親族は途中で同行から降り、以後は関係者が(実際の身分は明かさずに)その代理を務めた。映像として記録されるのはこの下りまでである。

 

驚くべき事件の真実と戦争の実態

元上官が処刑命令を下したと結論

上官たいが飢えをしのぐために、

理由をつけ、部下を処刑して殺し人肉を食したことを指します。

なぜ、この2名が選ばれたことも明らかにされていたと思います。

奥崎健三の人物像については、
小説「ヤマザキ、天皇を撃て」を読むと
より、理解できます。

私が奥崎健三の名について知ったのは
書店に平積みされていた「ヤマザキ、天皇を撃て」です。

 

ゆきゆきて神軍が    1987年上映

ヤマザキ、天皇を撃て  1977年刊

パチンコ事件      1969年

天皇家の一般参賀で、
陛下をパチンコ玉で狙いつかまったのですが、
本を読むと

「奥崎健三」が起こした事件は
「変な人」の「意味不明な行動」との認識から
犯罪に至るまでの経緯を過程を知ることができます。

映画「ゆきゆきて神軍」は
ドキュメンタリー映画としてかなり評価されましたので鑑賞をしましたが、
「ヤマザキ」と「奥崎」がつながったのはその時になります。

小説と映画が脚光をあびましたが

生活は豊かになっても、
徴兵された人々には

重く心に刻みつけられた深い傷が

癒されずにいたとが背景にあると思います。

 

傷痍軍人や救世軍の社会鍋の姿を

駅や商店街で見ることができた時代でしたが、

 

戦争体験者には思い出したくないテーマだったのか、

映画館での観客はほぼ20~30代の男性がたちでした。

ブログを書いていても、嫌な思い出は書けません。
「思い出して、思い出したくない」という慣用句がありますが、
実感しです。

映画について話は戻ります。

天皇主権の国体を維持のための戦いだったのか
家族や日本国を外敵から守るための戦いだったのか
そのような高尚なテーマではありませんが、

今でも見続けられているのは

高質な反戦ドキュメンタリーだからではないでしょうか。

 

ちなみに

芸人「鳥肌実」の若いころに似ていると思いました。