人生は当たり前の感覚の中にある。

「失われた時を求めて」(マルセル・ブルースト)

 

紅茶を飲みながらマドレーヌを食べた日常

空の青を感じた時、

ごく、当たり前の中に深い意味があったという意味らしいです。

 

 

「日常」を書いているだけで、いろいろなことが想起されます。

 

 国分    フォルクスラーメン 

 時計台   麦味噌ラーメン 

 

とラーメンの話が続いているので今回は

 

万世    パーコー麺

 

万世といえば、

今年の3月に通称「肉ビル」が閉館しましたが、

閉館前にパーコー麺を食べるための行列ができるほど、

人気の商品でした。

 

初めて食べたのは、

高校生の時で、

有楽町のスバル座で上映された、

映画「チキチキバンバン」(1968年日本公開)の鑑賞後の中(なか)食です。

 

当時、私は都内住みでしたので

親しくしていた友達も都内住みでした。

 

焼き肉「肉の万世」は有名店で

家族連れで焼き肉を食べに行った友達も多くいました。

 

有楽町スバル座で上映されたのですが、

映画が終わり、

「万世」のパーコー麺がおいしいので行こうという話になり、

その足で「万世」有楽町店へ。

 

10代はボリュームのあるものや、

油っこいものが大好きな年代なので、

 

パーコー麺はクセになる味のスープと

排骨(パーコ)をはじめとした肉の具材と

油ギラギラのスープで病みつきの味でした。

 

2回目以降はWパーコーを注文した記憶があります。

 

あれほど感動したパーコー麺、

しばらくの間食べていません。

 

懐かしく思い、

千葉にある5店舗中2店舗訪れましたが

「パーコー麺」の取り扱いはありませんでした。

 

 

 

千葉にもパーコー麺を提供している店が

京成千葉駅の近くにありました。

 

ハッコーというワンタンの皮などをつくる会社の副業で、

ハッコー亭と屋号で、

カレーとパーコー麺、餃子の3種を提供していました。

 

しかし、味は似て非なるもの、

私の求めていたものとは程遠く、

数回通いましたが、徐々に足は遠のいてしまいました。

 

おいしいという味覚は

最初のイメージが後まで尾を引くのでしょうか。

パーコー麺=万世 

味覚が刻まれてしまったようです。

 

それでも地域では好評で、

昼時には客が途絶えることはありませんでしたが、

現在は閉店っしています。

 

就職後、

「ハッコー食品」の名前と

意外なところで、巡り会うことになります。

 

仕事先で知り合った

山〇さんの自宅を訪れた時に

傍に建設されていたマンションの名が「ハッコーマンション」でした。

 

当時、

こんな山間によくマンションなど建てるなと不思議に思っていましたが、

建てれば売れる時代でしたので、乱立したのでしょう。

 

ちなみに

山〇さんは早い時期に売却をして、転居をしてしまいました。

自然環境はあまり良くなかったのが理由かもしれません。

 

この山〇さん、

高石友也と親しく、

自宅へ招いたり、一緒にホノルルマラソンに参加したりの

陸上つながりの友達とのことでした。