写真は、千葉銀座通りライオン堂の前になります。
この通りには露天商(右)が並び、多くの買い物客でにぎわっていました。
主に紳士服のつるしが多かったのですが、
「唐辛子」屋さん、テーブルカバー専門の「ビニール」屋さんなど、
多岐にわたってお店が並んでいました。
洋服は日本橋馬喰町辺りで仕入れてきたようですが、
一店舗だけ主に「ジーンズ」を扱っている店がありました。
国内にはジーンズメーカーはまだなく、
進駐軍などの放出品が主なもので
新品は売られていませんでした。
まだ、ジーンズの社会的評価は低く作業着扱いでした。
それでも
映画「エデンの東」や西部劇「ララミー牧場」などの影響を受け、
一部の若者にはアメリカ文化が浸透をしていきましたが、
しばらくの間は
不良の服の地位しか得られませんでした。
中学の時に普段着用にと思い
母親に購入を頼んだところ、
あっさり却下されました。
そもそもジーンズは丈夫で安いが原点、
私が三越で就活用のスーツを購入した時の金額は5万円に比べ
4~6000円くらいで買い求めることができました。
当時、AOKIなどのスーツの量販店はなく、
デパートもしくは仕立て屋で手に入れるものであり、
新卒者の給与の2分の1を払い購入するものでした。
したがって、スーツを購入するときはスペアのスラックスは必須で、
多くの人は1万円ほど追加して払い
ズボンだけは交互に履き替えて通勤をしていました。
1970年代半ば、
アメリカから帰国の際に
60年代リーバイス501の新品がセールで安かったので、
20本ほど船便で日本へ送り、友人たちに配りました。
フロントはジッパーが主流の中で、501はボタン様式。
皆からは小便が面倒だと不評でしたが、
今ではその501,当時物に限れば貴重品らしいようです。
実用でなくてコレクションなのでしょうね。
VWに惚れ込んでかなりの金額を車につぎ込みましたが、
ジーンズコレクターには
車がジーンズに変わっただけの話なのでしょう。