太宰治は日記を残していません。
「日記というものは、
あらかじめ人に見られる日のことを考慮に入れて書くべきものか、
神と自分の二人きりの世界で書くべきものか。」
「自分のための記録といいつつ、頭のどこかで公開を想定してしまう。」
その加減が難しいのだ。」 (随筆 作家の像)
と、書き記しています。
ブログはあらかじめ見てもらうことを前提として書いていますので、
第三者の目を意識して書いています。
昔話を書いていますが、
嫌な奴については
思い出したくもないので絶対に登場することはありません。
話は斜陽館の続きになります。
夕食に「海鞘(ほや)」が出されました。
通称「海のパイナップル」です。
宿の仲居さんの説明によると
「青森県産天然ホヤで、養殖ものではこの大きさになりません。」
「海の旨味を凝縮した豊かな磯の香りをお楽しみいただけます。
刺身を酢醤油でいただいてください。」
というような説明があったことを記憶していますが
「この料理が夕食の一押しなの?」と思うと、
煮つけの魚はあったものの物足りなさを感じました。
当時の私たちからすると
「珍味」よりは「ギラギラしたボリュームのある肉」を好む世代だったので
味わうよりは郷土料理の一品、お品書きでいえば香の物程度の認識で
味わうこともなく、流し込むように食べてしまいました。
その時の「ほや」に対する思いには偽りはなかったのですが、
今、同じような食卓が用意されていれば、
海の幸を感慨深く食すると思います。
それにしても
これをおいしく食べようとして調理に工夫を凝らしてきた東北の人々、
ナマコ同様、すごいと思います。