人間国宝になった島岡達三さんが

同じ町内に住んでいたことは書きましたが、

現在使っている湯飲みは、先生の作品となります。

 

 

知り合いが某ギャラリーに就職し、

そこから派生して、

お茶がおいしく飲める湯呑がほしくなり、

身の丈に合わないとは思いながら購入した物になります。

 

益子焼では浜田庄司さんが脚光を浴びていた時代ですが、

すでに巨匠扱いで美術品扱い、

 

友人の勧めもあり

島岡達三さんの作品にさせていただきました。

 

展示会への出品価格に比べかなり安く譲っていただき、

雑器に少し足したお手頃価格で買い求めました。

 

一時期、もったいないと棚の飾りにしましたが、

使ってなんぼのもの、

大切に日常遣いしています。

 

VWBUSと同様、

好きなものは何年たっても

飽きないものです。

 

思い出話

 

今では、こんな杜撰な管理はしていないと思いますが、

そこのギャラリーの倉庫には

某人間国宝の方が箱書き済の空の桐箱が、

無造作に十数個積まれていました。

聞くところによると

窯元から送られた作品は

ギャラリーで箱を合わをして販売するので、

作品数より箱数が多くなるそうです。

 

もし弟子の作品であれば、

作風が似ているので

この箱に入れてしまうと

本人の作品として通用してしまうことがある世界と話していました。

 

TV番組「なんでも鑑定団」で

「箱の重要性」を説いていたことが納得できます。

 

「一緒につぶす?」

と誘われ、10箱くらい踏みつぶした記憶が残っていますが、

作家との信頼関係で成り立っている世界と実感。

足で何個もつぶしました。

 

この友人の紹介で、

名のある方の作品を数点所持していましたが、

日常使いをしていたため、半世紀間でかなり数が減りました。

 

私自身はお気に入りでしたが、

家族にとっては重いだけの陶器の食器、

目に見えないところで

かなり雑に扱われていました。

自分で破損したことは一度もありません。

 

使われるために生まれた作品ですので

日常で使われたが故の天寿の全うなので

食器たちは幸せだったと思うほかありませんが、

思い出すたびに心穏やかでないのは、

前頭前野が劣化したためでしょうか。

 

それにしても、手ごろな価格で、

素晴らしい器が買えた良き時代です。

 

欠けなどでだいぶ数が少なくなってきましたが、

雑器として命を吹き込んでいますので仕方がありません。

 

私自身が買い足してきた器で食事をするのが

おいしいと感じているのも私だけなので

数が減っても買い足されることはないと思います。

 

昔は工業製品より

手作り品のほうが安かった時代の話を愚痴りました。

 

魯山人曰く

「食物をうまく食うには、つまらない器物に盛ったりしては美味さが出ない。」