① 釜石に帰った高橋さん、生きているでしょうか。

 

  大学の同級でよく話はしたほうですが

 

  プライベートな付き合いはほぼなく、

  卒業後は何の連絡も取ってはいません。

  

  ある日、授業の後 

  二人で

  九段会館のビアガーデンにビールを飲みにいきました。

 

  偶然、靖国神社で「みたままつり」(7月13日~16日)が行われており、

 

  ほろ酔い気分で

  懸雪洞   かけぼんぼりが掲げられて九段の夜空を美しく彩られている参道を歩いていると、

  数メートル先から風船が風に流されて転がってきました。

  ほかの方の迷惑と思い、

  私のところに来た時に足でわり止めました。

 

  しかし、しばらくたって母親と幼児が小走りでやってきて

  「われてしまったね」

  と悲しそうに一言。

 

  良かれと思ったことが、子供の心を傷つけることになってしまいました。

 

  50年前のことになりますが、

  ここ13年は、3.11になると思い出します。

 

  

  

 

② 甥っ子のよっちゃん、ボランティアに行く。

 

  親戚のよっちゃんが20代後半の時に地震が起きました。

  素行はよろしくはないのですが

  地震直後、

  私の母のところへ差し入れをもって様子伺いに来たり、

  我が家の墓石が倒れていないかも確認してくれたりしました。

 

  そのよっちゃんが自分のトラックと仲間のトラック2台で

  不良仲間と私財をはたいて、大量に買い集めたコメと水

  炊事用のプロパンボンベやレトルト食品・野菜を大量に積み

  東北地方へ向かいました。

 

  配送業を生業としていたので、

  市場から一時期 物資が消えてしまいましたが、

  伝手を使い一食分とは言え

  数百人の

  温かい食事をふるまうことができたと話していました。

 

  話のメインはここからなのですが、

  道路は ほぼ壊滅、

  道端には 人の亡骸が並べられていたり

  家屋に挟まったままの状態のご遺体があったりで、

  ニュースで流れている映像は悲惨な現状を伝えていないと話していました。

 

  外国から流れるニュースでは

  体育館などに遺体が次々と並べられたり、

  自衛隊員が泥だらけになったご遺体を運ぶ姿のニュースが

  流されたりしましたが、

 

  国内では報道規制があるのでしょうか、

  津波のパワーだけが強調された映像でした。

 

③ いつまでも、ご遺体は水底に沈んでいた。 

 

  そのよっちゃんのおじいさんの3回忌で、

  釜石にお住みも女性の方がいらしており、食事をしながら聞いた話です。

 

  少し高台に住んでいたので、家のそばまで津波がやってきたものの

  家屋は崩壊することもなく、被害は少なく済んだそうです。

 

  町から自宅までの道路の間には田があり、窪んだ所が数か所あるそうです。

  私の感覚では津波が引くと同時に水も引くと考えていましたが

  そうではなく

  窪みには水がたまったまま残り、流されてきたご遺体が10体近く

  数週間、

  沈んだままの姿で引き上げられる順番を待っていたそうです。

 

  老婦人には何かをするにもすでもなく

  ただご冥福を祈りながらその道を通っていたとのことでした。

 

④ 職場に数か月後、震災採用の女性がやってきた。

 

  震災から数か月後、 

  期限付き採用で20代前半の女性がやってきました。

 

  震災直後、急いで靴下のまま飛び出し非難したそうです。

  後ろを振り向くと、2階は残りましたが1階はつぶれてしまったそうですが、

  生活に必要なものは後で取り出せばよいということで避難場所へ。

 

  次の日、自宅へ戻り様子を見に行くと

  もらい火で全焼、何も取り出せるものはなかったそうです。

 

  高校時代の友人も数人

  亡くなったことは後で知ったそうですが、

 

  あれから13年  13回忌を迎える家庭も多いと思います。

 

  月日が経つのは早いものです。