前出の〇中さんは、40年間までは
千葉県のJR佐倉駅の近くに住んでいました。
その近くに
「公衆便所の喫茶店」と呼んでいた店があります。
喫茶店→代書屋(近くに法務局の出張所があり)→廃屋
という、運命をたどりましたが
建物は現存しています。
公衆便所と名付けられたのは
店の大きさから来ており、
キッチン含めて10坪ほどしかなく、
カウンター3人&テーブル席一つのカフェスペース
全客席数7~9人という小さな喫茶店でした。
この大きさなので
50代女性が一人で切り盛りをしていました。
区画整理の半端な三角地に立てられ、
開店当初から1年間ほど私たちは利用しました。
〇中さんは常連客の一人で、
帰省するたびに土産を持ち
親交を深めていました。
私は週1回ほどでしたが、
行くたびに、常にカウンターで
ママとおしゃべりをしている女性がいました。
バブル期前夜で
何を起業してもうまくいく時代、
危機漏れる会話の内容から、
トラック3台で運送業を開業したが、
半年後には20台に増車せざるを得ないほど
順調のようなことを話していました。
私用で、
彼女の会社の前を車で通過したことがありましたが、
荒れ放題の調整区域の土地が整備され、
いつの間にやら
新車のトラックの駐車場と変わっていました。
引退した愛人が
旦那に道楽で建ててもらったような喫茶店ですが、
柏原芳恵の歌「ハロー、グッバイ」の曲を聴くと、
この喫茶店が思い浮かびます。
歌詞
「紅茶の美味しい喫茶店
→公衆便所の喫茶店」
覚せい剤(学生街)の喫茶店同様、
語呂が合います。