木曾路きそじはすべて山の中である。あるところはそばづたいに行くがけの道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道かいどうはこの深い森林地帯を貫いていた。

 

島崎藤村の夜明け前の一説ですが、

馬籠に「藤村記念館」があります・

 

藤村は信州を広範囲に歩いていたらしく、

ネットで検索するとたくさんの「記念館」が出てきます。

 

我が家では毎年

正月の餅は自宅でついていましたが、

臼が劣化しており、白い餅に木くずが入ることが多くありました。

 

毎年買い替えの話が上がってはいたのですが、年に一度のこと、

年が明ければ忘れ去り

翌年の12月になると思い出すの繰り返しで、

毎年、

木くず入りの餅をついていました。

 

木曽路、2回目の話になります。

2回目は車(三菱ギャラン・バン)での訪問になります。

 

偶然、南木曽の駅前の工芸店の店先に臼が置いてあり、 

木曽=木工  そんなイメージが浮かびました。

しかし店頭に置いてある臼は一升用なので

店に入り、大きいものがあれば買いたいなどと

冷やかし程度の軽い気持ち店主に話しかけたところ

 

大きいものは売れないので

別注になる様な事を言われました。

 

この回も宿は「富士屋」に決め、

何気なく臼の話を宿主さんにしたところ、

 

買い求める気はなかったのですが話が進み、

知り合いの木工所へ連絡、

 

旅の途中なのでお断りをしたのですが、

見るだけでもと懇願され断れ切れずに

翌日

木工所の社長の迎えの車に乗り作業場へ案内されました。

 

現地に着くと大きめな臼が一つ、

すでに入り口に置かれており、

「幼稚園のキャンセル品で、三升用はめったに作らない」

との説明があり、

 

一か所接ぎ木があったものの、かなりしっかりしたものでした。

 

電話を借りて、自宅へ連絡をしたところ、

「ぜひ買ってこい」とのことで、

その場で即決をし購入しました。

 

価格は当時の大学新卒の給与が約9万円の時代に6万円

現在の新卒の給与は約20万円なので、14~15万円相当

かなりの金額になります。 

 

と思いブログを書くにあたり現在三升用の臼の価格を調べると

我が家で購入したものと同等なものは15~25万円

行事用の欅の上質なものだったのでなので

安めの金額で譲っていただいたことになります。

車がバンでなければ、

宅配が普及していなかった時代なので

購入はあり得ませんでした。

 

さて、その杵と臼の行く末なのですが、

5回ほど使い6年目を迎えた年、行方不明になりました。

 

使わないときには姉の旦那の建築倉庫で保管をしていたのですが、

取りに行こうと連絡してしたところ、

倉庫改築の時に誤って処分をしてしまったとの回答。

 

その倉庫にはわが家の不用品も押し込んでいたため

改装時、一緒に処分を委託したのですが

その時のどさくさに紛れて消えてしまったということでした。

 

かなり追及をしたのですが、すでに無いとの返事ばかり。

 

その年はもち米は買ってあったので、急遽、機械餅でその年は乗り越えました。

しかし、恒例の4家族が集まり、年中行事はそこで途絶えてしまいました。

 

以降、知り合いの農家に餅を注文するようになり、

仏壇へ備える鏡餅は一升の大きな餅と決まっていたのですが

5合の小ぶりのものになってしまいました。

 

七草がゆが過ぎていてもたべていた餅も、

以降、それまでには食べきることが多くなりました。

 

臼を購入した30年後、

家族で再び南木曽の妻籠へ訪れました。

 

妻・子を連れて、懐かしの富士屋の様子を見に行ったのですが、

残念なことに建物は町保存のため残っているもの閉業、

 

通りに出された縁側に座り休んでいると

中から家の人がでてきたので挨拶をし、

昔、臼を買った客であることを話題にしたところ覚えていました。

 

宿主によると、幼稚園にキャンセルされ

木工所では大きすぎると持て余し困っているところに

わたりの船とばかりに売れて

非常に感謝された話をしてくれました。

 

臼のその後について聞かれましたが、

悲運な運命をつたえるしかありませんでした。

 

映画「人間の証明」風にいえば、

 

母さん、あの臼はどこへ行ったのでしょうね。

そうです。

あの臼です。

木曽路で買い求め

重いおもいをして運んだ

あの臼ですよ

 

重い臼を積んだまま 飛騨高山~金沢と旅をしました。

 

きちんと固定をしていなかったため、

カーブのたびに臼が移動し

怖い思いをしました。