中山道木曾路には、

学生時代4回、職場で1回、家族で2回、

計7回、訪れています。

 

旅先として信州が多く選ばれた理由は、

当時の国鉄は地域別の周遊券を発売しており、

その中でも、都内から一番近く、また安く

学生に気軽に行ける地方だったことがあげられます。

 

私には

もう一つ理由があって、

ベストセラー本

吉川英治版「宮本武蔵」を読んでいたところ、

 

木曽福島の近くを歩いていた武蔵が

「寝覚ノ床」に寄ったことが書かれており、

幼き日の納得のいかない記憶がよみがえり

大学1年の時に中山道へと足を向かわせました。

 

「寝覚ノ床」の燻りとは

小学校5年生の時に配布された夏休みの国語の学習帳の表紙が

「寝覚ノ床」の写真だったのですが、

 

説明書きには

浦島太郎が目を覚めた場所と書かれてあり

 

子供心に

「海の近くの話なのに、なぜ山の中なのだ」

と、訝しがる気持ちが深く思い出に残っており、

思い起こされてしまったからです。

 

 

現代では

キティちゃんやスヌーピーなどの愛らしいキャラクターが座を占めていますが、

当時は、

上野動物公園のモノレールや天文台のドーム、パラボラアンテナ等の先端技術が

スターの座を占め、かなり渋いものでした。

 

寝覚ノ床(WIKIより)

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話は戻ります。

 

心躍らせ、「寝覚ノ床」へは行きましたが、

10年間の秘めた思いとは違い

たいした感動もなく、

 

浦島太郎が目覚めるにはちょうど良い川の流れの景色を眺め

身近な滞在後、後にして妻籠へと向かいました。

 

民宿「富士屋」に宿泊、

翌朝、バスで馬籠まで行き

妻籠までくだりました。

 

吉川英治「宮本武蔵」の挿絵では、

かなり難儀をする山道のように書かれていますが、

 

50年前でもすでに観光地された歩きやすい山道で、

多くの方が歩いていました。

 

あるあるですが、

必ずと言っていいほど

土産物屋で購入した

三度笠をかぶたり、木刀を挿したりと

武士になった気分で歩いている輩に会います。

さすがに一人旅の方にはいなさそうですが。