50年(+α)前の話になります。
秋葉原駅の近くに住んでいたY君には
日大の芸術学部に友達がいて、
ある日、
その友人の制作した自転車にのり
学校へやってきました。
前輪2,後輪1
の三輪車でハンドルはなく、
体重のバランスを取りながら走らせるものでした。
ブレーキもギアもなく、
タイヤへの動力の伝達方法は
子供用の三輪車と同じものでしたが、
後輪の径が大きいので
一般の自転車と同様のスピードが出せるものでした。
しばらくは日常生活の愛車として利用し、
日本橋三越や銀座通りも走行していたようです。
ある日を境に、
ぱったりと自転車通学をやめました。
後日、理由を聞いたところ
フレーム(ダウンチューブ?)が変形してしまったとのことでした。
ガスバーナーで鉄パイプを曲げたり、溶接をしたり
当時の一部の大学生は、
芸術家や職人気取りで授業も楽しんでいました。
思い出しついでに。
関根君は、大学卒業後
お神輿の工房に入り、
その後、宮大工になってしまいました。
大学に在籍していたころから、
下宿へ遊びに行くと
机の上にのみが置いてあり、
何か彫り物をしていました。