神田神保町古書店街

 

たいていの古書店の店頭には均一台があり、

このおかげで、10代後半から20代前半、

あらゆるジャンルの本に手を伸ばして

幅広く知識を身にすることができました。

 

学生時代は、

均一本で学んで鍛えられたといっても過言ではないかもしれません。

 

 

古書店の店頭には、

店主から見放された本が

50円・100円、高くても200円程度の金額で仕分けもされず、

かごや箱の中に押し込まれていました。

 

洋書書店では、米国の雑誌やコミックからハードカバー本

古文書店では、古地図・すごろくの類から和綴じの往来物に至るまで

無造作に、

並べられたり、積み重ねられたりしていました。

 

均一本で店頭に置かれるものは、

見切り品であったり、

その店の専門以外の分野だったりと多種多様で

一貫したテーマはなく、

たまに掘り出し物がありと、

お宝探しのような楽しみも兼ねています。

 

なかでも

私が洋書屋で購入した一冊は珍本で、

JALが一部の外国人向けに配ったであろうB6サイズの絵本

舞妓と侍が日本の名所を紹介するもので、和綴じのものでした。

内容は、いまだに日本が江戸時代と変わらない国と誤解させるもので、

鮮明に記憶に残っています。

 

 

集めていたものといえば、

アメリカンコミックの雑誌で、かなりの冊数を買いあさりました。

 

当時、雑誌にイラストを投稿しており、

2か月続けて掲載され有頂天になっていた時期です。

 

巷ではエアブラシを使った作品が流行っており、

私のような軽薄な若者たちは

身の程知らずにも

将来の夢と趣味を結びつけ、

活躍する自分の姿を夢を見ていました。

 

まだ、黎明期であるため入門書がなく、

ましてや古書店には出回っておらず、難儀をしていました。

 

話は古書からずれますが、

イラストを描くことに目覚めたのは、

馬場さんと彼の友人(美術系専門学校)の下宿へ遊びに行ったときに、

部屋に飾られていた車の写真と眺めていたものが、

彼のイラストと知り、カルチャーショックを受けたときでした。

(イラストは借り物です)

すぐに影響を受けやすい私ですので、

早速、自宅の店の売り上げをちょろまかし道具を購入。

 

応募したイラストがビギナーズラッキーで掲載されたことが不幸の始まりで、

才能がないことに気づきまで1年かかりました。

 

結局は

私の部屋には、コンプレッサーなどの道具だけが残ってしまいました。

何をやっても中途半端なまま、70年たってしまいました。

 

BOOKOFFが近くにあり、

購入することはありませんが、

本の最終処分場として年に数回利用させていただいています。

価格0円評価でも引き取ってくれるのでありがたく思います。

 

 

ここの均一本のコーナーには、

時代を超えて読みたいと思える本がありません。

 

バーコードのついていない本は店頭に並ばないようですし、

最近ではコロナの影響もあり、衛生面も気になりますので。