温泉マークついでの話。

 

60歳半ば以降の人たちには、

温泉記号を

「逆さクラゲ」と称していました。

 

当時の旅館の看板のどこかにこのマークがあれば、

「連れ込み旅館」で、カップル御用達専用となりました。

のちに「ラブホテル」

現在の「ファッションホテル」にあたります。

下は当時の旅館の広告ですが、しっかりと意思表示をしています。

 

下の写真、4種とも都内の旅館ですが

「熱海」「強羅」等、日本有数の温泉地の名を借りて営業をしています。

 

 

 

 

 

千葉市の場合は、千葉駅北口 千葉公園寄りに連れ込み旅館が多くありました。

ラブホテルのない時代、千葉公園でデートを楽しんだカップルの需要が多く、

そのため密集したと聞き伝えられています。

 

また、風俗街で発展した栄町も徒歩圏内(10分以内)で、

ホステスとのアフターにもよく使われていました。

前出で、間違えて友人が「男娼」を買ってしまった話を書きましたが

弁天町の旅館の出来事です。

 

千葉城のある亥鼻公園周辺にも数件ありましたが、

こちらは県庁等の公的機関が多い地域なので、

役人の接待に使われていたため、割烹旅館が主流でした。

 

コンパニオン同伴の接待後、

しっぽりとするために、続きの間も用意されていました。

野菜を納入していたのが、友人の八百屋です。

 

ちなみに、地元の有名な和菓子屋さんのおかみさんの話です。

業者から、役人に渡すお土産の折箱を頼まれることが多かったのですが、

箱の下に必ずと言ってよいほど、

現金を入れる指示あったと話していました。

女を抱かせ、現金を渡し、

まるで、時代劇のような話は最近まではよくあったようです。

 

我が家も建築関係の仕事をしていたので、

同じようなことは日常茶飯でした。

 

 

「逆さクラゲ」でなく「温泉マーク」は

一般生活にもかなり普及していました。

 

温泉でなくても大浴場を備えていれば、

「お風呂 あります」の看板として利用されました。

 

 

 

日本で地図の記号として最初に現れるのは、陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)が仮製図式に採用した明治17年のことである(図下)。

日本で最初に地図に採用された温泉マーク(明治17年)

それ以後、温泉の他、公衆浴場や旅館、赤線などの施設を示す記号として幅広く使用された。またクラゲを上下逆さにしたような形であることから、隠語として「さかさクラゲ」とも呼ばれ、連れ込み旅館やラブホテルを意味するようにもなった。今でも辞典で調べると、その記載がある。しかし、昭和30年代に入り旅館に温泉マークを使用することが禁止され、昭和51年に日本温泉協会が天然温泉を使用している旅館を明示したいという理由で、温泉マークを改めてデザインし直し、現在も使われている天然温泉表示マークになった(図下)。地図では従来の温泉マークの使用は変わっていない。