年始に大学時代の親しい人達と集まります。

そこで笑えるネタを投下してくれとリクエストがありましたので、

しばらくは、うちわの話を書きます。

 

時系列ではなく、

その都度、脳裏に浮かんだことを書きます。

 

これから登場する私たちは

昭和48年~52年まで、

御茶ノ水駅から歩いて数分の大学に在籍していました。

 

学生運動は下火になりましたが、

1年の後期の期末テストの初日、

学生により校門が封鎖され、

すべてのテストがレポートに変更されました。

 

しかし

試験になれば学校を封鎖してくれるという

よろこばしい奇跡は二度とは起こりませんでした。

 

ネタふり①。

日暮里の清〇さんの家の近くのスナックで盛り上がった怖い話大会。

 

皆、それぞれの怖い不可思議な話を順に話していました。

その中でも、一番怖いと皆から認定され私の話を書きます。

 

この話は、

熱海が実家(漬物屋)の友人から聞いた話です。

 

熱海には

自殺の名所といわれる「錦ヶ浦」があります。

そこで小学生の時に体験した話になります。

 

学校から下校し、

いつもの通り友達と「錦ヶ浦公園」で遊んでいたそうです。

 

眺望のよい海側に

一人で海を見ている女性がいたそうです。

 

友達(彼の)が、

「一人でいるなんて怪しいね、

 自殺でもするんじゃないの?」

と冗談めかして言ったそうです。

「まだ明るいし、人もいるし。」

と言って遊んでいましたが、

気になり振り返ると彼女はいません。

 

急いで彼女のいた場所に行き

身を乗り出して下を覗くと

木の枝に彼女が引っかかっており、

その時に、

彼女の目線と見つめ合ってしまったそうです。

 

急いで警察を呼びにいたのですが、

戻ってきたときには彼女の姿はなかったそうです。

 

その時の、

何かを訴えるような瞳が忘れられないということでした。

 

私は大学時代に2回、電車の飛び込み自殺に遭遇しています。

 

1回目は「御茶ノ水駅」です。

飛び込むタイミングが早すぎ、電車の下に潜り込んでしまいました。

明治か中央大生かもしれません。

 

本人は救急隊員に肩を支えられて

救急車に運ばれて行きました。

現場検証の警察官が彼の財布の中を調べていると、

舟木一夫が歌う

「学園広場」の歌詞が書かれた紙片が入っていました。

 

この歌を心の支えにしていたのではないかと思うと、

彼の疎外感を感じ、悲しみがわいてきます。

 

 

   

 

2回目は飯田橋駅です。

学生ならば、法政大学生でしょうか。

 

私が乗っていた電車と記憶します。

最後まで見届けなかったのですが、

水で現場を洗い流すために消防車が来たり、

新聞紙でくるんだ手or足らしきものを片づけたり

慌ただしく警察官(?)が動いていました。