以前書いた友達がうつで心配している記事からの続きになります




そういえば、私は診断された時に躁鬱ではないと言われた

友達は躁鬱で波があると聞いたのを思い出した


そんなに違いがあるの???


あと私は発達障害グレーゾーン(未満)で

その2次障害としての『鬱』と診断されてる


友達は発達障害や発達障害未満とは聞いてない

けれど躁鬱らしい


その違いもわからないけど…

『障害者』や『躁鬱』の人は

常に薬を常用しなきゃいけないのか?


脳の仕組みが知能指数とは違うのか?

私は知能指数で言うと76

日本人の平均知能指数は112くらいらしい

躁鬱の人が発達障害でなければ知能指数の診断はしてないかもしれないけど

『鬱』の人の判断力は、やっぱり健常者よりは下なんだろうな


まあ結局は患者さんがどうしたいか次第なのかな

薬飲むかどうか、というのは


たとえばなんとなく人とは違うと自覚してても

ずっと医師に頼らずなんとかしてきた人もいるだろう

その人が病院や医師にかからなくても生活してるなら、診断はされてないから『健常者』になるかな


一度でも診断されてしまったら

「私は躁鬱なんだ」

「医師が言うから薬を飲まなければならないんだ」

から抜け出せないほど『判断力』がない

おかしい所は医師に頼る、治せなくても少しは良くなるからそれが当たり前と思い込んでる


多分私は鬱になる前から

精神疾患の人は薬(医師)に依存しがちだと知っていた

情報を知らなかったという差もある


そこでまた分けると

今の薬服用(通院)をやめないのか

やめるのか

という選択肢もある事を考えていない


依存しがちな人は

人に任せて自分で考える事すらやめてる

ように見える


本当はもっといろんな選択肢や

考え方次第で

自分や結婚相手との関係も良くなるかもしれないのに

これまでの自分が変わることを拒む

好きな相手との結婚はするのに

変わらないでいられるの?


『鬱』という症状があって

どこか共感や親近感を覚えていたけど

考え方や生き方の根っこは違うんだな


こうすればいいんじゃない?

って言うのは簡単だけど

それを聞いた友達が拒否反応しかけたのをこの目で見てるから

やっぱりそこから先は医師やカウンセリングの人に任せるしかないのかも


薬飲む、飲まないの単純な選択の違いじゃなかった

生き方、考え方の違いだった


友達は人見知りではないし社交的で誰とでも話せるタイプ

だけど抱えてる躁鬱や生き方考え方の深い所は

その面だけはごく限られた人にしか見せてないんだろう


私は以前は共通点があればあるほど話しやすくなる人見知りタイプだった


友達のことをよく知ったからこそ

その深い所も自分と違っても否定せず意見せず

押し付けがましくならないようにして

もっと器を大きくして

そんなあなたのままで変わらなくていいよ

と受け入れる人になりたい


以前の記事では

考え方違うからうまくいかないのかな?と

変に深入りして治そう正そう良くしようとしてた

友達には言わないにしても心の中ではそう感じてた


もうちょっと離れて緩い輪の中で

もっと基本的な事でいい

趣味が似てる、カラオケも漫画も好きな世代の近い友達、という枠の中でやっていった方が

きっと友達にとっても自分にとっても

平和的に生きていけるのかも

深い所を知ったからこその浅い所どまりでいいんだ


同僚や他のカラオケ友達とも

そういう感じでやってるんだから

親友とでも、それでいいんだきっと

まあ私の心配性ゆえもあったけれど

この話はこれでひと段落ついたかなε-(´∀`;)ホッ