泥濘にはまったような、あるいは薄靄の中を彷徨った中から抜け出した、そんな目覚めだった。
意識が定まらずぼうとしたが、しばらくすると見覚えのない場所にいる事に気づいた。
やばい、そんな言葉が頭をよぎる。おそらく昨晩飲み過ぎて、とんでもない所で寝てしまったのかと思う。
やがて落ち着いてくると、そこが見覚えのある場所である事に気がつく。
記憶の糸が繋がってくると、そこは自分が学生時代に住んでいたアパートだった。
知り合いに貰った机、小さなブラウン管のテレビ、本棚だけは自分で買ったカラーボックス。
自分の置かれた状況に理解できず、洗面所の鏡を除くと、
「嘘だろ、若返ってる…」
明らかに自分の姿も学生時代のそれに戻っていた。
テレビをつけてみると更に衝撃的な事実が判明した。
「1989年11月18日になりました。今日の天気は…」
1989年?
俺は30年前にタイムスリップしていた。
とにかく、自分の置かれた状況を把握するためにも外に出ることにした。
財布、鍵、定期、スマホ…スマホがない。
そうだ、この時代にはスマホはおろか携帯電話すらない。
スマホがあれば、「30年前、タイムスリップ」とでも検索すれば、気の利いた答えでも出てくるかもしれないのに。
定期券を確認すると、確かに自分が住んでいたアパートから大学までの最寄駅になっていた。
とりあえず、大学まで行ってみることにした。
駅までの街並みは学生時代のままで、懐かしい店やとっくにつぶれたはずのスーパーなどが立ち並んでいた。
大人になってから、この街を訪れた時は随分と様変わりしたものだと思ったはずだが、あれも10年近く前の話だ。
駅に着くと、昭和を感じさせる駅舎のままだった。改札口でICカードをタッチしようとして、駅員に、ちゃんと定期を見せてと注意された。
平成の始まりの年が、こんなにも昔だったとは驚くことばかりだ。
大学に着くと、建物には記憶があるが、今日が何曜日で何をしに来たかわからなかった。
とりあえず今日の日付を確認しようとしたが、スマホもなく腕時計もないので、彷徨いながら探したが、駅まで戻って今日が11月の18日だと言うことがわかった。
11月18日?
その日には記憶がある。
誕生日ではない、そう、その日は俺が伝道された日だ。
1989年11月18日、
その日は金曜日で、普段は行かないターミナル駅で買物をしていた。
その当時、大きな駅にはアンケートと称して声をかけてくる人間が沢山いた。
普段は無視をして通り過ぎるだけだが、その時俺に声をかけて来たのは、4才年上の男性で彼に声をかけられた時、何故だか彼の話を聞かなければならないと思い、その後ビデオセンターに連れて行かれ伝道された。
後で教会に入教した時に、その話をすると
「すごい!正に神さまが導いたのね。」
とか
「先祖の功労が高いんだね。」
などと言われた。
何故、俺がはっきりと11月18日という日付を覚えていたかというと、ビデオセンターに通っている頃、俺を伝道した霊の親と言われた彼が手紙をくれ、「11月18日は僕たちにとって運命の日だね。」などと書いてきて、最初、そっちか?と、なんだかこそばゆい感じもしたが、何故かその日付だけは、はっきりと自分の中に刻まれた。
今日という日が自分にとってのターニングポイントである事は間違いない。
俺は、ビデオセンターに行ってから、トントン拍子で入教し、大学も辞め献身した。
その後、霊感商法に長く携わり結婚祝福を受けて一般企業に入った。
90年代後半から2000年代になると、教会の献身者は著しく減り、その為か、各家庭に高額献金のノルマが課せられるようになっていった。
どの家庭も借金をしてでも献金する事が栄光のようになり、また時代も消費者金融が華の時代で、多くの家庭が数百万単位の借金をした。
当然、一般のサラリーマンが返せるような額じゃなくなり、俺も借金で首が回らない状況に陥った。その後、何十年も借金に苦しみ自殺を考えた事も少なくなかった。
教祖が亡くなると、元々あった膿が噴出し、教会は家族間の利権争いで分裂し、多くの人が教会を後にした。
今日、彼に会わなければ、俺はあの教会に行かずに済む。
30年後の俺は、とっくに教会を辞めていた。
とりあえず俺はターミナル駅まで行って様子を見る事にした。
時間が早かったせいか彼の姿はない。
俺は時間を潰すために喫茶店に入った。
スマホも無く、本も無ければ時間の潰しようもない。
俺は静かに目を閉じて、自分の人生を振り返った。
普段は生活に追われ、いつも借金の事などで頭が一杯だが、こんな風に自由に自分の人生を振り返ることはあまり無い。
そうすると、まず妻との思い出が現れた。
初めから愛がある結婚では無かったが、妻と一緒に培ってきた時間はかけがえのない物ばかりであった。
そして、子供の事が現れ、子供が生まれた日、喜びと戸惑いで涙が止まらなかった事が思い出された。
妻と子供を育てた日々は全てが鮮やかな幸せの日々で、正に自分がこの世に生まれて、生きる意味を与えてくれた日々だった。
俺は衝撃を受けた。
教会に入り、ある意味騙されて人生を棒に振ったなどと思ったりした。
しかし、例え騙されたとしても、俺にはかけがえのない家族がいた。
そして家族と共に人生を歩んできた。
俺にとってこの何十年は地獄でしかないと思ってきた。
だけど、俺は家族のおかげで、この上なく幸せに生きてきたんだ。
その事が胸に溢れ、俺は喫茶店で恥ずかしげもなく泣いていた。
夕方になり喫茶店を出ると、遠くに霊の親の彼が、誰彼構わず声をかけていた。
この教会が正しいなんて一つも思わない。
一宗教でありカルトである。
しかし、俺の心は彼の所に行けと言っている。
信仰するためじゃない、
俺は、俺の家族に会いに行くんだ。
あの日俺を立ち止まらせたのは、神さまでも先祖の功労でも無かった。
俺自身の思いで家族に会いに行ったんだ。
だから、俺は、俺は
「今、教会に行きます」
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